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April 23, 2006

042306「6時過ぎに目が覚める」

6時過ぎに目が覚めた。ストレスレベルが高いのだろう。睡眠時間にすると6時間弱ではないか。このぐらいのストレスレベルは何回か経験したことがある。浪人をしていた85年から89年、アメリカにいた96年から2001年まで、日本に帰ってからの2005年まで、こう書いて驚いたのだが、ほとんどずっと異常なストレスレベルの中で生きている。睡眠薬を使って眠ることを覚えたのは非常に最近のことだが、その睡眠薬も効きが悪くなってきた。先週、病院に行くのを忘れたので、週があけると睡眠薬が足りなくなるが、睡眠薬なしでどのぐらい眠れるのかを見てみるのに良い機会だと考えよう。

長くストレスレベルの高い生活をしていると、少しずつ耐性がついてくる。精神的に強くなると言うこともあるのだが、それと折り合いをつけるノウハウを身につけるということもある。

人間と言うのは不思議な動物で、どうにもならない過去を嘆き、未来を憂う。ストレスのレベルの高いのは過去の整理が上手に出来ていないか、未来に対して大きく不確定な事象を抱えてるかのどちらかである。究極的に「今」という瞬間は存在しない。意識が生まれたときにはもう、流れていってしまっているからである。もし、「今」という瞬間があるとしたら、それはきっと「行動」のことであろうと私は考える。

過去の整理の方法としては、日記を書くというのが最も効果的な方法だと私は思う。何でも良い。かく言う私も毎日、せっせと日記をつけている。このブログとは別にである。もうこのブログを読んでいる人は気づいているに違いないが、このブログも勿論、日記の類である。

ある友人は、私にこのブログは情報の方向が一方通行で、情報のキャッチボールがないとアドバイスをくれるが、そもそも、そういうことを前提にしていない。「ひとりよがり」と言われれば、「それはその通りである」というのが私の返事である。

ま、言ってみれば、このブログは間断なく続く、私の独白に過ぎない。

日記を書くということを、生きる技術として覚えたのは、大学受験浪人の頃だったのではないかと思う。黄金の青春期をたった一人、自宅で受験勉強をするというのは非常に不安な毎日を過ごすことになる。目標と現実に気が遠くなるほどの距離があったので、なおさらのことだった。その時は日記という形態を意識せずに、毎日、何かを書いていたように思う。

そして、それが「日記」として強烈に意識され始めたのは、大学に入り、古寺雅男の教育学の授業を受けてからのことだったと思う。

それでは「未来に対して憂う」ことにはどういう対処の方法があるだろうか。私は大きく分けて二つのステップを考えている。

当たり前のことなのだが、「人間には出来ることしか出来ない」のである。だから「自分で出来ないこと」は心配しても意味がない、と諦めてしまうことである。それが現実である。「出来ること」と「出来ないこと」を混同して、何の効果もないのに心配しているだけということが多いのではないかと思う。

まず、その切り分けが出来たら、次は「出来ること」を書き出して整理し手順を考えることだと思う。別の表現をするなら、外部化し、未来を計画化するということになるだろう。という訳で、ストレスレベルがかなり高い、今朝はこのブログを使って、自らを整理しているところである。

今日の予定に関する簡単なメモを作った。本当に簡単なメモだが、頭と心を整理するのに役立つ。

先ほど、「このブログは間断なく続く、私の独白に過ぎない」と書いたが、少し意識しても良いかなと思うのは、「読み手の役に立つこと書くように心がける」ということだ。

ここしばらくの間の私の中での大きな変革は、「プロの表現者」になろうという決意である。「間断なく続く独白」という体裁は取りながらも、読み手を意識したブログを書いてみようと思う。これも私の表現者としての成長の糧にきっとなると期待しよう。

今日の私の一番大きな課題はMプロジェクトである。Mプロジェクトに関してはシドフィールドのワークブックをベースに一から考え直すことにしている。昨日、正確に言うと今日の午前0時に、「主題」についての数行での表現を書いた。

私がシドフィールドのワークブックに最初に出会ったのは1993年、別冊宝島にあった翻訳本であったように思うが、翻訳がしっくりこなかったのを覚えている。1995年、まだ、広告代理店に在籍しながら、スイスのオークション会社に転職の口を求めて、初めてヨーロッパに行った帰り、ロンドンの本屋で買ったのが、英語のワークブックを買った一番最初である。その後、アメリカに渡り、1999年に「おはぎ」の制作を手伝いながら(本当は何もしていないのだが)「青木物語」という脚本を起こそうとしたときにハリウッドの書店で購入したのが2冊目ではないかと思う。それから何冊のワークブックを購入したのか、私は覚えていないが、今、私の部屋には英語のワークブックが2冊あり、一冊はボロボロになって潰れてしまい、もう一冊もテープで崩壊を何とか食い止めているという状態である。

シドフィールドのアプローチには賛否両論あるが、未だ、使いこなして、納得の行く脚本を一度も書いたことがないにもかかわらず、私はこのアプローチをかなり大切にしている。他にこれほど具体的なアプローチをしている本を見たことがないということもあるが、これがたまたま、私の脚本修行の最初の入り口だったと言うこともあるだろう。人生のめぐり合わせと言うのはそんなものかもしれない。

こう書いていると、ロンドンのピカデリーサーカス近くの本屋で英語のワークブックを初めて手にしてた瞬間の光景が思い出される。人間の記憶と想像というのは不思議な具合に出来ていると思うが、その瞬間からもう11年の付き合いになる。

一時間半はこの文章を書いただろうか。

文字数にすると約2500文字。原稿用紙にするとスペースを考慮するので、7枚はあるだろうか。

ある作家が、一日に原稿用紙10枚を10年間書き続ければ、誰でも作家になれると言っていたが、私もなれるだろうか。

さあ、2006年4月23日の日曜日を開始する。まずはシドフィールドからである。

さかはら あつし

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