問うては答え、答えては問う。
問うては答え、答えては問う。
スタックしていたのは、その循環を忘れていたからだった。
さかはら
抽象度を高くし、角度を変えて、考える。
いや、抽象レベルで、何をしようとしているのかを自分が何をしようとしているのか考えつくしておく。
さかはら
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく
一あしずつですから。
― 宮沢 賢治 ―
(『銀河鉄道の夜』)
考える。考える。考える。
さかはら あつし
自分の会社の事業ドメインを明確にした。良いことだと思う。
さかはら
人間は生まれる場所を選択できない。行く先も選択できない。
その期間も選択できない。そう考えたときに人間は、
与えられた人生というものの中でどう自分の一生を生きていこうか
ということを非常に謙虚に考えるようになるのです。
― 五木 寛之 ―
(『ことばの贈り物』)
明日のことは心配しか出来ない。
昨日のことはどうにもならない。
さかはら あつし
雑用をやり残して来たので、起き出して、対応した。
睡眠薬を飲んだので、もう一度、眠る。
今週末中に企画を詰めたい。DVDを後4本見ないといけないが。。。
ポイントは企画のドラゴンボールだ。
さかはら
今日は昼過ぎまで大学病院の精神科外来に行っていた。
地下鉄サリンの後遺症の診察である。精神科病棟というのは少し変わった人も多い。
カッコーの巣の上での本当の気持ちはなってみないとわからない。
ipod全開で歌を歌っている人を待合室で見かけた。思いっきり変なんだが、そういう自己表現があっていいんだな、と気持ち良かった。
ああ、そうか、それでいいんだ、と思った。
いつもは5分も時間を使わない精神科医も今日は診断書を書かないといけないのか、良く話を聞いてくれた。
その医者も自分の感じを素直に出すようにするのが良いと言っていた。
何重にも精神が壊れるような経験を、この20年間何度となく経験した。
その間、論理と思考の訓練を積み上げ、自分を作り上げ、生き抜いた。
ラビを頼りに、アメリカ東海岸に渡り、シリコンバレーを経験し、カンヌにも出かけ、その年、恐らく世界で一番の短編映画にクレジットを入れることができた。
日本に戻り、結婚・離婚を経験し、サリン事件の後遺症の中、どん底の毎日を経験した。
生き抜くために、自分を論理と明るさで固める必要があった。
だから、脚本を書いても論理力で押し切れる構成は出来ても、キャラクターに感情を乗せることなど出来なかった。
どんなにひどい目に会っても、映画を見ても、感情から噴出すような涙を流したことなど、この20年間なかった。
しかし、ipod全開で歌を歌っている、待合室で見た人のことを夜になってふと思い出すと、どうということはなく、暖かいものが頬を伝い落ちる。
そうか、
辛ければ、泣いていい。
腹が立てば、怒っていい。
楽しければ笑っていい。
そういうことだったのか。自由になるとはそういうこか。
さかはら あつし
企画を練っている。小説にするのか、映画にするのか、日本語で書くのか、英語で書くのかも決めずに、表現以前の筋の土台となるべき部分を練っている。
数日前、徹夜して小説の人称の使い方について、徹夜して勉強していたが、そう簡単なものではない、いや、絶望的に難しいことに気づいた。簡単に諦めるつもりもないが、かなり難しい。特に今練っている企画では難しいかもしれない。
また、私は、そもそもこの作品をどのような作品にしたいのか、という根本的なことをしっかりと決めなければならない。
そんなことも決まっていないのか、と言われそうだが、修行が足りないのか、企画を練っているうちに変わる。
根本的な「そもそも」を考えながら、企画を練る、筋を作ることにしよう。
さかはら
キーボードの上に水をこぼしたら、キーボードが壊れた。
直そうとしたら、回復不可能になった。もともとそろそろ買い換えるつもりでいたので、それはそれで良い。
仕事のヒューマンインターフェースは大切なので、同じキーボードをインターネットで発注した。
今日の夕方には送られてくるだろう。ロシア語学習用に調達したロシア語とアルファベット表記のあるキーボードを使うが、長期的には買いなおしたものを使うことになるだろうと思う。
午前4時。今日は午前中から定期健診なので、このまま起きる。
さかはら
企画の筋の本当の肝がまだ見えてこない。
輪郭を作ってみよう。
どっちみち、この筋、一発で決まらない。
走りきったら、もう一度作り直す必要があるのだから、もっと自由な筆運びでいいはずだ。
さかはら
もっと早く筋を開発したいが、脳みそがウニになった。
ずっとインプットを続け、不休で考え続けているので仕方がない。
ここ数ヶ月、考えられないぐらいのエネルギーと時間を作品作りに投入している。
ここから数ヶ月、まだ走る。まづは手の切れるような筋、そして、脚本の開発を目指す。
今日はさっさと眠る。
さかはら
結局のところ、私のコアはストーリーテリングである。
日本語の脚本なら書くのは書けるが、英語の脚本を最後まで担当することは不可能である。
考えてみれば、技術に関しても、ほぼストーリーテリングの開発にエネルギーを傾注してきた。
現代のストーリーテラーは映画プロデューサーである。結局、落ち着くべきところに落ち着き始めているような気がする。
脚本を書いても良し、監督をしても良し。プロデューサーをしても良し。今のコアを決めて、ここから自分をデベロップする。
さかはら
俯瞰、セットアップ、全体、部分を見直しながら構成を詰めている。
構成を詰めては、最初に作った一撃を確かめ、練る。
一撃を確かめては、構成を詰め、練る。
書けば何とかなる、は、絶対何ともならない。
どんなに苦しくても、ここで詰めきらなければならない。
ここで詰め切れないとしたら、一撃が悪いので、企画を根っこから考え直す必要がある。
さかはら
一度眠り、「点を繋ぐ」ような作業をしてみよう。
このセットアップでワークするかどうかはわからないが、一度、最後まで走った後で、もう一度考えると言う作業をしてみよう。
書いて見ることは無駄にならないことがわかった。
今回の企画のアプローチは脚本に入る前にガチガチに筋を固める、箱書きぐらいの筋はガチガチに固めるまで、表現に入ってゆかないということを試みているので、これで良いのではないかと思う。
さかはら
書きながら筋をさがしてちゃ駄目だ。そんなことをしている自分に気づいた。断片として紡ぎ、膨らませる。そういう作り方をしないと思考が線形になってストーリーの展開が遅くなる。
速くて、コンパクトでタイトな展開を作る必要がある。
さかはら
ストーリーが急速に展開する部分の筋で止まっている。
ここの延髄斬りで、後のトーンが決まる。
この延髄斬りの角度で、ぐいぐいと物語を教えてゆかなければならない。
一体、どんな延髄斬りをかませばいいのか?
それを考えながら、倒れこむ。
さかはら
結局は、映画のモチーフは銃と銃弾、生と死、そしてセックスに修練してゆくんだとは友人の弁だが、そういう映画ばかりを立て続けに見ているからだろとも思うが、少なくともアメリカの娯楽映画はそんな感じかもしれないな。
ゲロゲロになるほど映画を見ながら企画を練っている。映画を見まくりながら、自分の企画に対する問いを立て見ているので、結構疲れる。
もう次のDVDは装填したが、少し仮眠しながら、自分の企画について考えてみよう。
さかはら あつし
人間の傷や痛みに無頓着な態度は、
教育失敗のこの上なく明白なしるしである。
それは、また自由社会の終わりの始まりである。
― ノーマン・カズンズ ―
(『人間の選択』)
痛みを肥やしにして生きるしかないのが作家ではないか。
さかはら あつし
飛んでも八分、歩いて五分の映画だな。
40億円弱の予算で、13.6億円の興行収入で、ビジネスとしては成功していないが、DVD収入の多そうな映画なのでわからない。
ポールジアマッティの演技がいい。
賛否はあるだろうが、場面とストーリーのバランス良く、伏線も用意していて、しっかり作っているなと思う。この脚本簡単には書けないと思う。
さかはら
これはキャラクターネームにも使える。
幾つかペンネーム用にリザーブしてあるので、ゆっくりと選べばいい。
そもそもペンネームを使うかどうかも決めていないが。
さかはら
アイスクリームを買い、DVDを何本か借りてきた。明日までは持つだろう。
ふと思った、ストーリーは天地人だけでは不足するのではないか、新しい仮説が必要なのではないかと思った。
ひょっとしたら、
天地人+|X|+Yということではないかと思う。
|X|+Yが何か分かったらそっと教えてください。
さかはら
段取ると、展開が遅くなる、鈍くなる。
Pay Offを気にして、段取りをしはじめると、流れが澱む。
自分の作った大きなセットアップを信頼して、Pay offに向かって段取りをしない、先読みをしない、してはいけない。
主人公に次々と無理難題を吹っかけ、飲ませ続けろ。
少なくともスピード感のあるエンターテイメントに仕上げたいこの企画は、そうやって中盤を作る必要があるのではないか。
さかはら
私の性格の問題なのだろうが、どうも、クライマックスを取っておいて、そこに筋を運ぼう運ぼうとする傾向があるのではないかと思う。
そんなことをするから、二幕が弱くなり、つまらなくなる。
クライマックスをどんと前に持ってきて、主人公にぶつける。
そのクライマックスをしのいだ主人公にまた次のクライマックスをぶつける。
そして、また。。。。
宿題をしっかりとしていたら、これが出来るはずではないかと思った。
私個人の感覚的な問題なのだが。。やっぱり少し眠ろう。
さかはら
実話に基づくストーリーの作り方を教えてもらった。
さかはら
人間は、健康でありすぎたり、
得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、
疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。
― 山岡 荘八 ―
(『徳川家康』)
淡々と、黙々と。
さかはら あつし
「ブレイブワン(The Brave One)」を見た。
よく出来た映画だったな。ストーリーがタイトで、伏線の張り方も抜群、Terrance Howardの演技も抜群だった。
さかはら
「これで上手くいかないかな」
「こんなんでどうかな」
というのはプロとしては甘い。
そこにあるのは「甘さ」だけである。
「これが良い」「こうであるべきだ」と作り手の私が完全に納得していないものは出さないと言う決意を持たなければならない。
そこだけがプロとアマチュアの差ではないかと思う。
「甘さ」と共に「I wish=できたらいいな」を捨てよう。
さかはら
個人的な都合により、月曜日の今日中にストーリーアウトラインを作り上げる予定であったが、ここは慌てずにじっくりとやることにする。面白いものになるかどうかは、出来てみないとわからないが、今までの中で一番面白く、良く出来た構成であることはほぼ間違いない。今月一杯、もしくは12月上旬までストーリーアウトラインを練り上げ、そこから小説に書くか、脚本に書く作業に入ってゆく。
さかはら
企画の段階で他人を入れるとぶれる。
また、中途半端に、脚本を書けたり、映画を作ったことのある人を入れると、「代わりに自分が書く」とか、「お金を集めてくれたら、自分で作る」と言い出す。
一言で言ってしまうと、詰めきる作業を自分でやらない私が悪いのだ。
多くの人が映画を作りたがり、多くの人がチャンスに恵まれていない。
しかし、本当のところ、その多くの人々のほとんどが、孤独の中で企画を詰めきれていないのではないかと思う。
そして、まだ、私はその多くの人々の一人だ。
さかはら
自分という人間をその瞬間瞬間にぶつけていく。
そしてしょっちゅう新しく生まれ変わっていく、
エネルギーを燃やせば燃やすほど、
理由のわからない成功は危険である。
成功のパターンを再現できないからである。
知人で理由がわからず成功した友人がいるが、成功のパターンを再現できず、苦しんでいる。
理由のわからない成功は理由のわからない失敗よりたちが悪い。
さかはら
分からないところはわかっているが、解明に研究が必要だ。休憩したら映画を見よう。足りなければ借りてこよう。
ここがわかればちゃんとストーリーが作れると思う。いや、今のうちに借りてこよう。
さかはら
近所のファミレスでパスタを食べながら、本を読んでいて、問題に気づいた。
問題はこれから対応を考えなければならないが、その問題が私のストーリー作りの技術としては大きな前進であることは喜ばしい。
さかはら
うまくいってる時は問題ない。でも、
うまくいっていた時なんて、ほとんどない。それでも「私はできる」
と思っている。職業柄「勝てる」と思う必要はない。
さかはら
企画作りを急いでいるが、筋がなんとなくは見えるが、まだ、ビシッと見えてこない。
さかはら
いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような
手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、
やることを決め、やり方を考え、やれるまでやり続けろ。
それしか、やる方法はない。
さかはら あつし
「マジェスティック」(The Majestic)を見た。
フランクダラボンらしい丁寧に作った映画だったが、興行的には成功していない。
公開が2001年のクリスマスというのが良くなかったのではないか。
さかはら
レンタルDVD屋に行って、もっとDVDを借りてきた。まだぼんやりしているセットアップとその後を研究する必要がある。
自分に技術がないのは悲しいが、どの辺りを改善しなければ駄目か、目的意識を持って映画を見ることが出来るのは幸いだ。
もっともっと詰める。
さかはら
午前からずっと夕方まで倒れこむように眠り続けた。
ストレスと、体の疲労を回復するのに必要な睡眠だった。
人生で何回か、こういう状況を経験している。
納得の行く作品を作り、一点突破を目指す。そのためには、ここに全エネルギーを傾注しないといけない。
そして、私の仕事は人に頼らず、面白い話を作ることだ。
さかはら
眠ろうとしたが、肩がパンパンで、眠れず、起き出し、企画の立案作業を継続する。
そのうち、飲んだ薬が効いて、張りも取れるだろう。他の人は一体、どうやって企画を立てて、筋を作るのだろう。
さかはら
十のサービスを受けたら十一を返す。
その余分の一のプラスがなければ、社会は繁栄していかない。
― 松下 幸之助 ―
(松下電器産業創業者)
有り難う、の、一つ先を心がけたい。
さかはら あつし
今日は午後に資料を少しインターネットで発注し、NYの妹にも依頼し、その後、外出、戻ってきた。
企画開発はここからの詰めが大切だ。まだ、本当にモノになるかどうか、見えないところがある。
一度眠ってから、取り組もう。
さかはら
ここから濃くする作業に入る。大きな構成としてはこれで良いのではないかと思う。ここから濃くして詰める作業が挑戦だ。私小説から離れるように、離れるように。エンタメになるように、なるように、と突き放すことを心がける。
さかはら
まだまだ詳細を詰めるところがあるが、ストーリーの形が随分見えてきた。
また、小説を書く作業についても、技術的にクリアでなく、わからないところがあったが、アメリカの友人とチャットしていたら、分かりやすく説明してくれたので、助かった。
午前7時30分。
とりあえず、一度眠ろう。
さかはら
午前4時。
ストーリー作りに取り組んでいる。
睡眠薬は飲んでいないが、無理に起きているわけではない。
ストーリー作りが面白いように進んでいるから眠らないだけだ。
今度こそ、原体験の呪いに勝てるかもしれない。
さかはら

映画を見まくり、漫画を読みまくり、「ストーリーの一撃とはひょっとしてこんなものではないか」という感覚を掴んだ。その実作への活かし方はまだこれからの実作の苦労の中でしか見えてこないだろう。突破口にすぎないが、この一撃がしっかりと自分のものになると作品作りがかなり楽になるはずである。
ハリウッドの仲間も、この一撃を会得できずにもがいている。小説を書こうとした友人もこの一撃を掴んでいなかった。
伊丹万作はこの一撃の重要性を良く知っていた。その弟子、橋本忍も知っていた。
「そうではないか」と午後に二本の映画を見て気づき、それを検証に漫画喫茶に出かけた。
才能に溢れる人なら、こんなことをしなくてもわかるはずだと思うが、私は才能に恵まれていないので、自分の方法でトレーニングを積むしかない。まだまだトレーニングは続く。
自分の置かれた宿命と闘い、原体験に振り回される日々だったが、やっと、私の戦い方が本質的な変質を遂げ始めるのではないかと思う。
さかはら
人間は自分がいるところが曇ると、
一部分ではなく、全体が曇ったと信じてしまう。
― 幸田 露伴 ―
(小説家)
人間の問題はいつも自分がどうしてこの世に生まれてきたかである。
さかはら
色々な工夫をしたが、セットアップと構造が悪いので、今まで書いたものを一度捨て、ゼロから組みなおす。この2、3日、悩んでいたのはこのことだったのだと気づく。
セットアップと構造が悪いのに頑張ってもストーリーにならない。
ファイルも新しくして、人物造形も新しくして考える。今までのものをベースにしようというのが悪い。脳みそはそんなに上手く出来ていない。
スケベ心が身をほろぼす。
さかはら
一昨日、アメリカにいる映画監督の友人と話した。同じ映画を作った仲間とも話した。アメリカで映画作りを勉強した仲間数人とも話し、日本で映画を作っている仲間とも話したが、「筋」を作るのは本当に難しい。皆、アドバイスをくれるし、有益な意見交換をしてはいるのだが、誰一人として、良い筋を作って商売にできていない。「イロハ以前」「才能がない」と私を罵倒した人もいたが、その人も良く考えると、筋を作ることではなく、別の商売で食っている。良い筋を作るというのは本当に難しいことだと再確認した。難しいことをやろうとしているのだから仕方がないと諦めて、性根を据えてことに当たるしかない。
私自身は新しい企画に取り組んで数週間、どんどん成長していると感じているので、スキルを磨き、根本的な作業を続けるしかない。
さかはら
どうもセットアップが弱いような気がする。
セットアップが弱いからストーリーを作り手の都合で動かしてしまうのではないか。
他にもっと強いセットアップはないか、今ままでの作業に拘らず、強いセットアップを探してみよう。
こういう時は、人ごとのように、無責任に、考えてみるのが一番だ。
さかはら

未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である。
― 湯川 秀樹 ―
(ノーベル物理学者)
人生の地図は買えない。
さかはら あつし
夕方、先週から通い始めた病院に行き2時間ぐらい待合室で時間を潰した後、カウンセラーとのアポイントメントを入れただけで、帰りにシネコンを覗くがパッと入れる映画がなかったので、戻ってくる。
今日は相変わらず疲れているが、インターネットラジオを消して、静寂の中で企画を考える。
さかはら
毎年、検診の翌日は倒れこむ。
今日もやはり、倒れこんだ。
深夜にやり始めた、作業の外部化が随分と進み、ようやく終わった。
最近、わりと映画を見ているように思うが、結局、筋は、バックストーリーとある一点で構成されるのではないかと思った。
さかはら
流れに素直に書いてみることにする。
ストーリーの都合に無理に合わせない。
おぼろげに見えている、イメージを追いかけながら、そこに作者としての都合が出ていないかに注意して、丁寧に、筋を一枚一枚薄紙をはがすように進めてみよう。
さかはら
今日は地下鉄でガスを吸った人の検診だった。
多くの被害者が、後遺症を抱え、昼間に普通の仕事をするのが難しいという困難を抱えていることが良くわかった。専門家からそれを確認できた。
家で仕事をし、コンサルティングプロジェクトを入れて、口糊をしのぎ、企画を立て、脚本を書き、映画に向かう。
私には助監督を経験する体力もなかった。大きな会社で働く体力もなかった。
私は自分のペースでしか仕事が出来なかったのだ。
人は無意識に自分の道を見つけるものだなと思った。
さかはら
今朝、ハリウッドの映画監督と電話で話した。
誰がやっても劇作は難しいのだということがわかった。
電話を切った後、新しい手がかりを掴んだ。それが手がかりとして役立つかは考えてみないとわからないが。
さかはら
私のいつもの根本的課題にぶち当たった。根本的主題といっても良いかもしれない。
根本的問題と言っても良いかもしれない。一日、映画を見て、企画を考え続けると疲れた。
ここを何とか乗り越えたい。
今日はこのぐらいにして眠る。
さかはら
テイクもセットアップも構造も見えてこないが、小説でも脚本でもない、企画レベルのストーリーをテイクとセットアップと構造を求めて、ただ書いてみる。
しばらく書いては眺めて検討し、掴めなければまた書いてみる。
それしかなさそうな気がする。必要なのは無駄を覚悟で書いた文字だ。
さかはら
シンプルで、力強い、強力な、テイク、セットアップ、そして、構造がなければストーリーはストーリーになれない。
もし、ある企画が上手くかけていないのだとしたら、それはシーンの作り方が悪いのではなく、テイク、セットアップ、構造がそもそも葛藤と対立を生み出すように出来ていないのだ。
そのテイク、セットアップ、構造こそストーリーの主題であり、モチーフとなる。
シーンの作り方で誤魔化すのは老練な技かもしれないが、テイク、セットアップ、構造を強烈なものにすることこそ、作劇の王道ではないかと思う。
A4で10枚分、文字数で1000文字、原稿用紙で25枚分書いたが、まだ、バックストーリーを書いているだけのような気がする。
この辺りから意識を紡ぎながら、テイク、セットアップ、構造を本気で探し始める。
これを見つけずにかいても、徒労に終わるだけである。
さかはら
ここしばらく、ずっと企画を練り、アイデアを出し、映画を見、資料を読み込むという作業に取り組んでいる。
もう一ヶ月になるだろうか。ここで中途半端なことをすると血を見るのは私だから、ここの作業を徹底的にやるのだが、だんだん嫌になってくるので、ストレス発散にアイスクリームを幾つかまとめ買いしてきた。
これも仕事のうちである。
さかはら あつし
常ないものを常あるもののごとく思い、
頼むべからざるものを頼みとするところに、
人生における種々の苦悩は生ずる。
― 三木 清 ―
(哲学者)
自分で書くしかない。それを書くというのだ。
さかはら あつし
映画の見方を変えた。
変えながら、意識の中に、自分にしか書けない者を書こう、自分にしか作れないものを作ろうと強く思い始めた。
誰かに取って代わってもらえるような作品は作る意味がない。
さかはら
ストーリーには普通、複数の世界(社会)が出てきて、それが交錯しながら進む。
それらの世界のバランスを決めることが、ビジョンになるのだが、それが難しい。
そして、その複数の世界をどう絡ませるかも腕の見せ所である。
午前3時をまわった。今日はもう終わりにしよう。
さかはら
資料は必要な分は読み込んだと思う。
どんなストーリーを作りたいのか、まだ見えて来ないが、取り組んでいる企画の登場人物が足らないことは確かである。
登場人物に魂を与えることが出来たら、価値観が生まれ、対立が生まれ、葛藤が生まれ、ストーリーが見えてくるのではないか。
さかはら
人に頼らず、自分の力で、自分らしい、自分の作品を作ろう。
面白いものを作ることも大切だが、自分らしいことが大切なのだ。
さかはら

成功不成功は人格の上になんの価値もない。
人は多くそうした標準で価値をつけるが、私はそういう標準よりも
理想や趣味の標準で価値をつけるのが本当だと思う。
― 田山 花袋 ―
(『田舎教師』)
良いところを見つけて、話し始める人は素晴らしい。
さかはら
「異常な社会の中で、一人だけ正常な人がいる」という構造の物語。
青山真治監督らしい映像感覚。素晴らしい役者さんばかりだったが、三丁目の夕日風ではない、Wの悲劇風の薬師丸ひろ子がすばらしかった。薬師丸ひろ子にもっとこういう作品があってもいいのにと思った。
さかはら
朝から資料に目を通した。ようやく8割。あと2割を休憩したら、開始する。スピードを上げよう。描きたいテーマ、モチーフが沢山ある。表現するためにやりたいことも沢山ある。
スピードを上げよう。
さかはら
そう言えば、最近、馬鹿の壁にぶつかっている人を見かけた。
さかはら
自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。
そこに自分の自信があり、誇りがある。
― 松下 幸之助 ―
(松下電器産業創業者)
自分がない者は、他者を否定したがる。
他者を否定することによってしか、自分の存在を確かめられな
い者は独善となる。
さかはら あつし
ブログでこんな絵がかけるのだな。トラックボールで書いたが、タブレットがあるといいな。
タブレットは企画をまとめたら手に入れよう。それまでは、トラックボール画で表現する。
資料を読み込んでいるのだが、脳みそに資料を叩き込むやり方は良くないと気づいた。
資料と考えることが大切である。
外部化すると思考が進む。
さかはら
9時間ぐらい眠った。
後半の資料を読み込み、また、次の資料が届くのを待つ。
企画を練るのに、ICレコーダーを使い始める。
図書館読破や外国語、映像撮影の技術を見につけるための作業などが遅れているが、どっぷりと企画開発に使っているので、仕方がない。
まづはこの真ん中に集中し、後から展開する。
さかはら
資料が届いた。
映画を見て、資料を見て、企画を考える。
良い時間の使い方だな。
さかはら あつし
水中の石像 雨に濡るるを怖れず。
― 棟方 志功 ―
(版画家)
溝にはまった時は、濡れたことはどうでも良い。
ただ、脛が痛いだけだ。
さかはら あつし
ジェリーブラックマイヤーの映画の作り方は芸術的な作り方はしないが、シンプルでビジュアルで映画的ですごいな。これでしっかりとお客さんが入る。
ストーリーのセットアップから抜けへの作り方が本当に上手だ。
もちろん、60セカンズはリメークなのだが。
さかはら
クリエーティブワークは結局は孤独な作業である。
自分で最後に「それをどうすべきか」を決めなければならない。
自分がそのクリエーティブワークに責任を持たなければならない。
逆に、クリエーティブワークは孤独な作業であるべきなのかもしれない。
自分の経験とインスピレーションを絞り、蒸留して作品を作る。
作品にすべき経験は恵まれすぎるほど恵まれている。
2001年のカンヌから苦労しているが、その経験を手つかずにしておくことが出来て幸運だったと思う。
さかはら
今日は朝からほぼ予定通りに目覚め、今週で終わるコンサルプロジェクト関連の指示を入れ、ハリウッドと電話で話し、届いている映画をDVDで見はじめる。DVDだけで4枚あるので、随分な量だ。また、資料が今日当たりかたらどんどんと届き始めているので、目を通す作業に入る。ストーリーデベロップメント一般に関する資料、また、企画に関する資料、企画に関するDVDと目を通さなければならないが、それも非常に好きな時間の使い方であることが分かる。
この数日間、友人や精神科医と話して見て、大切なことを学びつつある。まづ、自分の経験の一部を切り出して、作品にするだけで、作家の仕事としては十分で、全部切り出すことが仕事ではないということだ。
私の経験は豊かであり、問題はそれをどのように切り出すのかが勝負だということである。
プロデューサーであれ、脚本家であれ、監督であれ、私のアプローチは作家のそれである。
企画を立て、インプットをし、考え、アウトプットする。
もし、私の行動が職業的でないとするならば、それは収入にまだつながっていないことであり、収入につながるまでやり続けることであると気づいた。
さかはら
精神科の医者の診察を受け、手がかりをもらった。
随分楽になった。今やるべきことも明確になった。
その後、今月半ばまでお世話になったコンサルプロジェクトのクライアントに挨拶。
後はやるべきことをやるだけである。
さかはら
再び、13、4時間眠った。滅茶苦茶なライフスタイルになっていたので、なんとか立て直そうと思う。
アメリカから来ていた友人が言っていたように、間違いのない心理カウンセラーに見てもらったほうが良い。
今は、某大学病院にかかっているが、睡眠薬と幾つかの薬をくれるだけで、ほとんど役に立っていない。
良い先生を紹介してもらったので、見てもらおう。
部屋ももう少し整理し、自分のやっていることを明確にし、生活のリズムも立て直す必要がある。
よく今まで精神が破壊しなかったと思う。
さかはら
なるほど、新しい企画を練り始めて、気づいたことは、最初の段階での考え尽くし方が足りないのではないかということである。
ここで、かなり考えつくしておかないと、脚本になったとたん思考の切れ味が悪くなる。脚本より濃いものを企画段階で作り出し、それをさばくぐらいの感覚でよいのだと思う。
わからないが、兎に角、今、考えつくせることを考えつくしておこう。それが小説であれ脚本であれ、アウトプットする時に役立ち、結局は近道である。
さかはら
今から数ヶ月、自分の苦しみ、経験、トラウマを蒸留し、転生するような作業を試み、動いて駄目だったら、日本を出ることを真剣に考えた方が良いという考えにはプラハのラビも同意してくれた。
これから思いっきりのブリッツをかけることになる。ストーリーを作る友人の助けでおぼろげだったストーリーの形が少しだけ明確になったが、まだまだである。
どうしたら潜在の中にある物語を取り出すことが出来るか、考えてみようと思う。
さかはら
海外からの友人とディナーをして、戻ってきた。
聡明で思慮深い人と時間を過ごすと、学ぶことが多い。
沢山手がかりをもらった。
さかはら
---------------------------------------------------------------------------
人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくるのです。
― 宇津木 妙子 ―
(女子ソフトボール監督)
ご飯を食べるからトイレに行くのではなく、トイレに行くからご飯を食べるのです。
構造的には似てるんだけどな。
さかはら あつし
今日は朝から海外の友人を案内し、一度、戻って休憩し、またすぐに出ることになる。
新しい企画で大きな「ひとふり」をする。それが駄目なら映画を止めることを真剣に考える。映画を止めたら、過去を捨て、日本を出よう。東京には良い思いでは一つもない。
私のパーソナルクエストは、血みどろの経験とまっすぐ向き合い、闘い、表現しきることである。そういうストーリーでないから、私の感情を乗せることができず、技術以前のところでつまづく。そして、多くの友人たちはそういう作品をこそ待っていてくれるのだと思う。
どうせなら、大きな「ひとふり」を目指そう。
さかはら
---------------------------------------------------------------------------
石を投げれば届くような距離に
この世の天国と地獄が並存している。
― 森村 誠一 ―
(『人間の証明』)
天国も地獄も、死んでからの話である。
さかはら あつし
今日はアメリカから来た友人を迎え夕食をして帰ってきた。
今日、良かったのは、私が闘うべき作品のポイントが見えてきたことだ。
また、自分で表現するしか道がないことを発見したことだ。
私の闘いは続く。
さかはら
独善とインセンシティビティーは凶器だなと思うような経験があった。
食い詰めているか、自信がないか、中途半端な苦労を沢山しているのだろう。
そういう時は私にもあったが、「生きるか、死ぬか」という経験が、心にようやく染み渡ると、どうでも良くなった。
独善とインセンシティビティーに気をつけよう。人間を磨こう。
映画よりも、何よりも、人間を磨こう。
さかはら
昨日は親切な知人のアドバイスのお陰で、新しい企画のおぼろげな全体像が見えてきた。詳細はもっともっと詰めなければならないが、良い企画になるのではないかと思う。
さかはら
ストーリーをスパッと叩き割れる一撃を求めて結局徹夜した。大事なことはその一撃の大切さを身にしみて理解していることだ。
とりあえず、一度眠り、一撃探しを続ける。一撃を見つけなければ、ストーリーの構築は難しい。
さかはら
ここ何年か、ストーリー作りと取り組んでいる。
ストーリーを作るというのは本当に技術と忍耐、そして、創造力がいるのだなとつくづく思う。
見た映画の中では、良く書けているなと思うストーリーもあるし、ストーリーは破錠していても勢いで映画としてまとめ、それなりにお客さんが入っている映画もある。
しかし、ちゃんとストーリーを作るというのは難しく、作れる人は多くない。
ちゃんとストーリーを作れたら本当にすごいなと思う。
さかはら
そうか、この企画はこの方向では成立しないということがわかってきた。
大胆に方向を変えて、「成立しやすい」角度から順目に考える。
そういう企画の突き放し方が大切なんだろうな。
さかはら
知人とお茶をして戻ってきた。
自分で企画し、構想し、ストーリーを構築し、脚本を書くのであるなら、自分が誰よりも良く考えていなければならないということに気づいた。
フィードバックと提案はもらえても、自分以上にその企画を考えている人はいないし、きっと、いてはいけない。
監督に映画を託すときは、潔く託さなければならないが、それまでは自分が最もコミットしていなければならない。
さかはら
流氷に囲まれた船が動くように、少し動いてはつっかえ、つっかえては、動くということの繰り返しなので、いつつっかえるかはわからないが、私自身は「どーんと、まっすぐ、普通のストーリー」に向かい始めているように思う。
「やっと」「いよいよ」という気持ちもある。
「どーんと、まっすぐ、普通のストーリー」を書くことが出来たら、ささやかな勝利である。
面白いキャラクターとシーンを書けるようになったら大きな勝利である。
今日はさっさと眠る。
さかはら
------------------------------------------------------------------------
人は、不幸のときは一を十にも思い、
幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、
十を一のように思います。
― 瀬戸内 寂聴 ―
(『生きることば あなたへ』)
苦い薬が喉を通る時間は永遠である。
さかはら あつし
今日は朝から散髪、そして、旧い友人のオフィスを訪ねて、全く新しい企画の打ち合わせをしてきた。
企画の打ち合わせは私には非常に良い機会になった。
やっていることは、エンタメ、エンタメ、そして、エンタメ、しょせん、エンタメなんだなと気づかせてもらった。
戦争をしているわけでもなく、殺し合いをしているわけでもなく、毒杯を仰ぐような決断をするわけでもなく、ただ、苦しかったり、大変だったりする、日々を生きている人々に、一時の笑顔と感動を届きたい、それだけのことだと気づかせてくれた。
もっと早くに気づいていれば楽だったのにと思うが、傷が癒えるのには時間がかかる。
さかはら
絶望と希望の間の往復運動を作り出すことだ。
私は絶望を描き出すことが出来ていなかった。
私が人間に希望を求めすぎているからではないかと思う。
思い切って絶望を描き出すことが出来れば、ストーリーとしての形を作ることが出来るのではないかと思う。
さかはら
主人公が立ち向かうべきものを、私が削りださなければならない。
それが、私の最大の挑戦である。
そこが出来れば、私のプロとしての腕は一人前になる。
自分で最初から最後まで脚本をほぼ仕上げることが出来るようになるはずである。
さかはら
プラハにいるラビと話した。
ラビは書けという。
そのチャレンジに立ち向かうしかない、と言う。
人間は人生より大きな問題と戦わないといけない時がある、と言う。
この仕事を人に託すのは易しいが、それでは、私の本当の解決にはつながらない。
さかはら
朝から、半分眠りながら、ずっと作品作りについて考えていた。
流れ星のように、さーっと、良いアイデアが出たように思ったが、気がついたら再現できなかった。
私には構造構築の技術がない、というかコツがわかっていない。
ここがわかれば、一気に展開するのだと思うが、その壁に頭を打ち続けているように思う。
シンプルなことから考え、複雑化しゆく、というアプローチを大切にしてみよう。
さかはら
構成上何が足りないかはぼんやりと見えている。
自分自身の経験との距離のとり方を見つける必要がある。
そこが出来れば、面白い作品を作れるはずだ。
自分で作るということは、結局、自分で作ることなのだから、自分で作るしかない。
プラハのラビから返信はまだ来ない。
睡眠薬を飲んで、もう眠る。因果の中を生きる。
さかはら
今日は午後3時まで眠り、映画を2本見た。
良く考えたら、気が遠くなるくらい企画のことを考え詰めで、それ以外何もしていない。
その合間に、teamoscarのサイトもリニューアルした。
プラハで撮った写真で、このブログの脇にある写真をモチーフにしたというか、貼り付けただけだが、私は気に入っている。
ジャズを聴き、自作のカフカの写真を眺めながら、バニラアイスを二つ。
なんて、贅沢なんだ。
さかはら
創作活動が痛い。
どうしようもないほど痛い。魂が砕け散り、心が割れ、脳みそが破裂したのかと思うほど痛い。
昨日見た、青山真治監督の「ユリイカ」は良く出来た映画だと思うが、本当にああいう経験をした人間は殺人をしようなどとは思わないのではないか。少なくとも私はそうだった。
ただ、人間に大きく絶望する。悶絶する。そして、生きるために人間を信じようとする。そんな風ではないかと思う。
比較のしようもないのでその程度を表すことは難しいのだが、私の体験は私にとっては苛烈であった。魂と心は傷だらけである。
書こうとすれば、精神をliberateし、creativityを発揮しなければならないが、それは自然、自分のトラウマへと意識を誘導し、押しこごめていた精神の激痛が、表層に出現する。
ストーリーの創作とは、感情の記憶をキャラクターに載せる作業であるから仕方がない。
ホロコーストの生き残りで、ホロコースト以外のモチーフで作品を書いた作家を、調べてみたが見つけることは出来なかった。
プラハにいるラビにメールで尋ねたので、2、3日中に返信が来るだろう。
ホロコーストの生き残りがその経験を語り始めたのが、30年後ぐらいだったように思う。
地下鉄の事件だけであるなら、もう13年経っているので、傷は半分は癒えているように思うのだが、5年前にその傷をパックリと裂くような経験をしてしまった。
だから、ストーリーを書こうとすると、魂が砕け、心に激痛が走る。
「感情の記憶をキャラクターに載せる作業」ができないのだ。
今日、シネフィルで、アメリカの大学院で映画づくりを勉強してきた知人とコーヒーを飲みながら話していて、何となくこのことに気づいた。
全く別のアートフォームを志していれば、どれほど幸せだっただろうかと思う。
本当に書くことが出来ないのならば、プロデューサーに徹しても良いかなとも思うが、それならいっそ、映画などやめてしまい、日本を出て、全てを忘れて、暮らそうかと思う。
それなら、日本でもなく、アメリカでもない、全く記憶のない街が良い。
そんな思いを持っていた人に出会った気がする。数ヶ月して駄目だったら考えようと思う。
試みるべきことは大方試みたように思う。
さかはら
この数週間で結構な量のメモを書いたのだが、私はそれらを全く活かしていないことに気づいた。
ワープロで書いたものは、打ち出して、それ以外は一度、整理して、私自身が何をしようとして、何にぶつかっているのか、他人事のように冷徹に眺めて、考えてみることを試みよう。
書くというのは、大体、そのために書いているのに、私は活用の仕方を知らなかった。
さかはら
Recent Comments