基本戦略
なんとなく、これからの基本戦略が見えてきた。
さかはら
私が疑うことのできぬ唯一の勝利は、種子の力の中に宿る勝利だ。
黒い大地の中に蒔かれた種子は、すでにして勝者だ。しかし、
小麦に宿るその勝利に立ち会うためには、時の流れが必要なのだ。
― サン・テグジュペリ ―
(フランス作家)
さかはら あつし
なんとなく、これからの基本戦略が見えてきた。
さかはら
私が疑うことのできぬ唯一の勝利は、種子の力の中に宿る勝利だ。
黒い大地の中に蒔かれた種子は、すでにして勝者だ。しかし、
小麦に宿るその勝利に立ち会うためには、時の流れが必要なのだ。
― サン・テグジュペリ ―
(フランス作家)
さかはら あつし
突貫で書いている。締め切りは6月1日午前零時。
そこまで書いた分がこの原稿である。
この文章を書くことは、自己の再構築プロセスとなっている。
今まで、原稿用紙で、合計、111枚書いたことになる。
只管多書、ただただ書く。書いて、自己の再構築プロセスを行う。
書きながら思うのは、私のアプローチ、生き方が常軌を逸しているのではないかということだ。
それが、良いことか、悪いことかはわからないが。
さかはら
ひたすら原稿を書いている。
自分を整理する作業である。
考えて自分を整理する。書いて自分を整理する。
自分のために考え、整理しているのである。
考え尽くし、書き尽くすと、自分の中の何かがかわりそうな気がする。
さかはら
今までかけて、アバウト原稿用紙100枚分書いた。結構、日数がかかっているが、この土日で後100枚書きたい。兎に角、このプロジェクトの初稿を脱稿するのだ。
学術論文でもない、啓蒙書で、一体何時発表するか、いや、発表するのか、発表すべきなのかさえもわからないが、兎に角、脱稿することが大切だ。そして、書ききることが大きな自信を与えてくれるだろう。
また、一つ、自分を整理し、浄化するプロセスでもある。
これが終わったら、映画を見たい。
これが終わったら、映画の企画を考えたい。
映画を作りたい。
自分自身のトランスフォーメーショナルなある種の通過儀礼になるはずだ。
さかはら
ある資料を見ていて、私の思考密度が全く足らないことに気づき、反省した。
思考密度を今の3倍にして、映画に臨もう。
ま、長引いていた風邪は治ったので、よしとしよう。
さかはら
休憩を沢山入れているが、気が遠くなるような感覚を覚えながら、啓蒙書を書いている。
膨大な思考量が必要になり、へとへとである。また、休憩を入れて、書くことになる。
予定通り、今月末までに原稿が書きあがる自信はないが、書くしかない。
さかはら
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どんなに教養があって立派な人でも、
心に傷がない人には魅力がない。
他人の痛みというものがわからないから。
― フジ子・へミング ―
(『魂のことば』)
心に傷がない人は存在するのだろうか。
さかはら あつし
今本を書いている。
啓蒙書の類である。啓蒙書らしい啓蒙書を書きたいと思う。
映画をつくりたいと思う。映画らしい映画を作りたいと思う。
学術論文を書いている。学術論文らしい論文を書きたいと思う。
さかはら
今日は午前1時30分に目覚め、活動開始。
やりかけは良くない。
今書きかけの原稿を書き上げよう。
さかはら
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行動する人間として思考し、思考する人間として行動せよ。
― ヘンリ・バーグソン ―
(フランス哲学者)
思考は行動化されていなければならない。
さかはら あつし
そう言えば、最近、カンヌ映画祭が終わった。
Bean Cakeで出かけて、もう8年になる。思い出すと、他人の人生を映画で見ているような感覚を覚える。
随分色々なことがあった。
気が狂いそうな日々も過ごした。色々な人と色々な仕事をした。
勉強もした。シネフィルとはなれなかったが、映画について自分なりの勉強をした。
「死んで欲しい」と思う人もいる。思い出すだけで「腸が煮えくり返るほど腹が立つ」人もいる。
全ては肥やしとなり、そして、血となり、肉となるだろう。
大人は虎変し、君子は豹変し、小人は面革する。
ロダンは、12年の暗黒時代を作ったが、私はとりあえず、虎変する。
腹の立つ奴を、「悪役キャラ」の下敷きにして、ボコボコにやっつける。
そんな感じで行こう。
ここからスピードを上げないと、人生なんて、いつまで続くか、わからない。
私は自由である。
さかはら
異常なる人間は、異常なる家庭から生まれる。
逆は真ではない。
あの狂人こそ、私の劇作に必要な、「やること、なすことが悪い」という悪のモチーフであり、アーキタイプでわないか。
苦痛の根源が解題された。
私はあの狂人の中に、獣のような倫理観のなさ、俗物、そして、想像可能なあらゆる醜悪さを、見出だしたにもかかわらず、飲み込み、消化しようとし、嘔吐し続けていたのだ。
もし、私がストーリーの創作を持って、昇華するのならば、あの狂人を「ぶっ飛ばす」ことをしなければならない。
あの狂人を理解しようなどと思ってはいけない。ただ、完膚なきまでに叩きのめすのだ。
さかはら
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何を生命と呼ぶか。
あらゆる意味から君を激動させるもの、
君を突き貫くもののことです。
― ロダン ―
(フランス彫刻家)
異質なものに出会うと、その正体がわかる。
異質なものに出会わなければ、その正体はわからない。
死を見つめなければ、生が何かはわからない。
醜悪なる人間を見つめなければ、美しい人間はわからない。
さかはら
「誰かに死んで欲しいと願う」ことは良くないことなのか、そういう感情を持つだけで良くないのか。
今日まで考えたことはなかった。
精神の自由とは何なのか。社会の価値規範で「良くない」と言い聞かせても、それは真実の精神ではない。
本当はどうなんだろう。
さかはら
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自分自身に対する思いやりは何よりも効く特効薬だ。
― セオドア・アイザック・ルービン ―
(アメリカ精神科医)
虎に思いやりがあると思ってはいけない。人間と全く異なる
ロジックで生きているからである。もしこれが真だとすると、
全ての人間に「思いやりがあるとは限らない」ということにな
りはしないか。
さかはら あつし
倒れこんだまま、考えた。
この6年考えた末にたどり着いた。
真実も正解もない。あるのは己の見解と結論だけである。
誰の同意も必要ない。プロとして食うには、金を払ってくれる人がいる。
ただ、それだけである。
6年かけて、手に入れた視点と覚悟は黄金である。
さかはら
私の問題の本質を考えてみると、それが何かは明白である。
それが、この6年間、もがき、苦しんでいる問題の本質である。
何をやっても、その問題の本質をなかったことにはできないし、避けて生きることもできない。
クリエーションをしようとすると、いつもそこに行き着いてしまう。
袋小路に入ってしまっているが、そのままでは、袋小路に入ったまま人生を過ごしてしまう。
私はどうしたらいいんだろうか。
フランソワモーリヤックなら「書け」というだろうか。
考えるだけで、疲れた。
また、眠る。
さかはら
結局、夜は眠ることは出来ず、朝方から、夕方まで眠り、飯を食って、「野垂れ死に」を読んだ。
やっぱり、このじいさんは凄い。
夜に寝ようが、昼に寝ようが、そんなことはどうでもいい。
体はしばらく風邪だったのだが、復調してきた。
さかはら
ここしばらく、映画も見ず、DVDも見ず、体の不調もあって、書く作業、考える作業ばかりを続けている。
久しぶりに映画を見たら、「嗚呼、映画を作りたい」と思った。
6月の講演のスライド第一版は出来上がり、今月末の締め切りの原稿を追い込んでいるが、概ねスケジュール通りではないかと思う。
学者の友人が、学術論文の校正を入れているはずである。Vol.1、Vol.2、Vol,3と続く三部構成の論文にする予定だが、Vol.2以降を私が削りださなければならない。代わりにやってくれる人間がいたらやるのだが、誰もやってくれないので、理論の削りだしは私がやらなければならない。
「こうやって映画にアプローチしたい」「ああやって映画にアプローチしたい」「こうやって映画を作りたい」「あんな映画を作りたい」という思いが脳みその中を駆け巡る。
結果として、昨日はほぼ不眠なので、目がボロボロである。
今日は、薬を飲んで、熟睡し、明日は昼型の集中モードに舵を切る。
語学、アルトサックスを混ぜた、フルモードに戻してみよう。
明日からはもっと研ぎ澄ました時間を生きよう。
さかはら
ここしばらく、漢字検定の報道が続いている。
背任から、横領と言うのは、あまりよろしくないと思う。前理事長の人となりも映像から見る限り、良さそうな気がしない。
しかし、誰も、「創業者は一体幾らもらうのが適正なのか」ということを言い出さないのが不思議である。
「やりすぎ」という言葉を聞くが、全て主観である。「すぎ」ではなくて、「一体幾らだったらいいんだ?」
任意団体から、公益法人になった時点で、時価評価して、国が買い取り、公務員並みの給料にすべきだったのではないか、そして、公務員に引き継いで、引退し、次の起業を行う。
その時の時価評価が100億円でも良かったのではないかと思う。そういうクリアなシステムが出来上がっていれば、背任することも、横領することもなかったのではないかと思う。
公益法人に天下りした公務員の給料は公務員並にすべき、いや、公務員のまま天下りすべきである。
元々、行政がやるべきサービスを、起業家マインドのある人が肩代わりしただけではないか。
「文部科学省は、どうして、そういうことを思いついて、自分でやらないのか」「血税をもらって、寝ているのか」と誰も文句を言わないのが不思議である。
これを期に、全公益法人、公務員化を進めるべきだと思う。
さかはら
知人が製作に参加したドキュメンタリーを見てきた。
上手にできていなかったので、名前を挙げることは避ける。
見て意見を言うのと、作るのは違う。
現場では大変だったのだろうなと思う。
ドキュメンタリーという手法へのイントロとしては良い勉強になった。
お疲れ様でした。
さかはら
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社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
自ら考え行動できる人間をつくること、
それが教育の目的といえよう。
― アインシュタイン ―
(ノーベル物理学者)
己の活かし方を見つけること。
さかはら あつし
観客の視点、読者の視点、顧客の視点を意識するようになった。
さかはら
日本人は、古きより美しくやさしき自然に育てられて、
美しくやさしき詩人たるべく養われたりき。
― 山路 愛山 ―
(歴史評論家)
日本の気候と風土は日本を作ってきた。
さかはら あつし
スティーブ・ジョブズのスピーチを書いている文章の参考にYoutubeで見たら、私が言いたいこととそれほどは違わないことに気づいた。
しかし、私はそれ以上に大きなことに気づいた。
スティーブジョブズにはウオズニアックがいた。ビルゲイツにはポールアレンがいた。
盛田昭夫には井深大がいた。
今まで、孤高となり、己の技術の研鑽に力を入れてきたが、大きな仕事を社会でまだ出来ていないのは、そういう仲間を持つことが出来ていないからだと思った。仲間がいると、動きに弾みがつき、動き出す。
大きな気づきである。出会いを大切にする。
さかはら
何を書くのも楽じゃない。
ハウツーだと思って書き出したが、なんの、臓の腑をえぐられるような思いをしている。
さかはら
恋と運命と死と、
皆どこかに通じた永遠の気持ちがあるような気がする。
― 倉田 百三 ―
(『出家とその弟子』)
運命と言う言葉のためのどれだけの血を吐いたことか。
さかはら あつし
今日は朝まで眠れず、朝に眠り、夕方に起きた。睡眠薬が効かない理由は不明だが、体調不良の半分は風邪気味であるからだということに気づいた。後の半分は精神的なもんだろう。筆が進まない理由は椅子の微妙な調整のためだとわかった。
Youtubeで「兵庫のおじさん」を見つけた。
滅茶苦茶面白い。こうじゃないと駄目だなと教えてもらう。「兵庫のおじさん」ありがとう。
つくろう、作ろう、創ろう。
さかはら
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人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。
そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、
自然なかたちで他人を大切に思うことができる。
― 五木 寛之 ―
(『生きるヒント2』)
最後死ぬと言うときは、意外に自分のことなんか
どうでもいいもんですよ。
さかはら あつし
志を大きく、高く、保ったままでないといけないことに気づいた。
さかはら
一生涯の目的を達成せんとするものは、
いかなる固執も、障害も、目前の名利も介さず、忍ぶ、粘る、
堅忍持久、終始一貫、最後の目的に突進することである。
― 石橋 正二郎 ―
(ブリヂストン創業者)
突進、突進、そして、突進。
さかはら あつし
ようやく一塊を書いた。
原稿用紙で50枚ぐらいを書いただろうか。
全体の24%ぐらいにあたるので、全体で、約200枚の書き物になる。
ある「ルール」を自分に課して、書いているので、文字を埋めるのが大変だ。
ここから少し楽になればいいなと思うが、どうだろう。
いつ発表するかもわからない原稿だが。今、書いておくことが自分にとって大切だと思う。
さかはら
精緻に書く作業をしている。
脳みそのエネルギーを気が遠くなるほど、絞る作業である。
とりあえず、書きたいように書こう。納得行くように書き上げることが大切である。
さかはら
他から得ることができず、
どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。
才能ではなく真摯さである。
― P.F.ドラッカー ―
(『現代の経営』)
素直でいられたら、それは素晴らしい才能である。
さかはら
今日も倒れこんだ。
書くというプレッシャーがある。生きるというプレッシャーがある。
その中を、神経ガスの後遺症が襲う。
「元気そうじゃないですか」と言う人がいるが、私は元気そうな時しか人に会わないし、外出もしない。
「ウツ」と勘違いする人がいるが、根本的に違う。
生産的に動きたいとは思うが、エネルギーを根こそぎ持ってゆかれる感覚である。
倒れこんでも、思考は継続するので、鋭敏になる。
「時間のヤスリをかける必要がある」とある作家は言ってくれたが、それは不可能かもしれない。
神経ガスの後遺症は生きている間は現実であり、想い出にはならない。
国も無策で、小遣い程度の給付金で、「仕事」をしたと思っている。
神経ガスで死んだ人の遺族の話は良く聞くようだが、神経ガスを吸った被害者の話は聞かない。
どうしたら生きて行けるのか、どうしたら明るい話を書けるのか、皆目検討もつかない。
甘えているのか、被害者意識が強いのか、と思うこともあるが、甘えるぐらいだったら、自分で何とかする。被害者意識はあって普通で、ないのがおかしい。
ブログを書いたら疲れたので、再び倒れこむ。
起き上がったら、抽象的な思考だけの文章に取り組もう。
さかはら
プロジェクトのアイデアをもらった。
書くプロジェクトが終わったら、映像を作ろう。
さかはら
本当に今、制度を変えることばっかりやっているんだけど、
いくら制度を変えても、人間が変わらなきゃ、
本質は何も変わらん……。
― 井深 大 ―
(ソニー創業者)
人間はすぐ変わる。今、変われる。
さかはら あつし
疲れて眠っていたが、起きて、書こう。
書かないとはじまらない。
さかはら
時間があればいい書体ができるわけじゃないだろ。
与えられた時間の中でどれだけのことができるかが勝負だよ。
― 鈴木 勉 ―
(字游工房初代社長)
そもそも人生の時間は限られている。
さかはら あつし
今書いている書きものは、発表する時期が難しいが、書き上げてしまおうと思う。
途中で止めない、書き上げることが大切だと思う。
初稿完成は今月末。それから6日に話す内容について、準備する。
さかはら
コンビニで握り飯を買い、夕飯にした。
もらったラーメン屋の新規開店の無料食べ放題チケットがあったが、行く気がおきずに、結局は家にいた。私の時間単価はラーメンよりは高いはずだとも思うので、これでよし。
握り飯は時間の短縮になるし、軽く済ませられ、胃の負担にならないので、一日を倒れて過ごした私は一日をこれから取り戻さないといけないので、この方が良い。
コンビニからの帰り道、「計画できなかったこと、想定できなかったことは単なる偶然に過ぎない」という結論に達した。
だから、今書いている文章に計画と出口を与えなければならない。手帳を出そう。
さかはら
わたしに畏敬の念をいだかせるものはふたつ。
星がちりばめられた空と内なる倫理的宇宙。
― アインシュタイン ―
(ノーベル物理学者)
子供瞳の奥に、宇宙のような世界が広がってい
るのではないかと思うことがある。人間というの
は本当に素晴らしい。
さかはら あつし
書くというのはいつもエネルギーが要る作業になってしまうんだなと思う。
抽象化した世界で文章を書いているのだが、それでも、結局、自分にかえってくる。
生活のリズムの悪いところに、昨日はNPOの会があった。
大体、NPOの会があると、翌日は必ず倒れこむ。
少し書いて、ランチにしたが、今日は倒れこむ。
狂気の中にいるが、天は自ら助けるものしか、助けない。
さかはら
TeamOscarのサイトが落ちていた。多分、この10日ぐらいの間の話だと思う。
たった一枚のサイトなのだが。
プロバイダーに依頼したので、そのうち、すぐに復活する。
さかはら
今日紹介した藤沢秀行のエピソードは凄い。(Wikipediaより)
多額の借金を抱えていた時期の第2期棋聖戦では加藤正夫に1勝3敗と追い込まれ、第5局開始前には「負けたときに首を吊るため」枝振りのよい木を探しながら対局場に向かったという。この碁で藤沢は一手に2時間57分という記録的な大長考を払った末、加藤の白石を全滅させ気迫の勝利を収めた。
同じく将棋棋士の芹澤博文は 「弟分」と呼ぶ仲で、飲み仲間でもあった。二人が酒の席で「囲碁・将棋の全てを100としたら、自分たちにはそのうちどのくらいをわかっているか」を紙に 書いて見せ合ったことがある。芹澤は「4」、藤沢は「5か6」と書いていて、藤沢は「自分は思い上がっていた」と反省したという。
女性関係も派手で、愛人の家に入り浸って自宅に3年もの間帰らなかったこともあった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。
酔っぱらったら女性器の俗称を連呼する悪癖があり、鄧小平と面会した際、あろうことかベロンベロンに酔っぱらっており「中国語ではおまんこのことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止となった。
また、開高健のエッセイ『開口閉口』に出てくる、「門口で『やい、クロ饅子、でてこい!』と叫ぶ『疾風怒濤のロマン派』」とは藤沢の事である。
ライバルであった坂田栄男と は個人的にもウマがあわなかったようで、藤沢が日本棋院から除名処分を受けていた際、坂田は藤沢を激しく非難した。ただ藤沢の死去に際し、「対戦成績は私 の方が良かったが、才能は私よりあったと思う」(毎日新聞)と語っている。また将棋棋士河口俊彦の著書には、あるとき日本棋院で藤沢に会った際、「今日は 坂田に2万円借りた。坂田に金を借りるようじゃ俺もおしまいだな」と言ったというエピソードがある。
競輪で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、競輪場で観戦していたときに金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」としてその競輪場の名所になった[1]。
米長邦雄の妻が藤沢の妻を訪ね、米長の妻が「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と藤沢の妻に相談したところ、藤沢の妻は「うちは3年、帰りませんでした」と答えた[1]。
棋聖戦6連覇の間に借金のために自宅を競売にかけられたが、「最善手を求めて命を削っているから、借金も女も怖くない」と語った[1]。
ここまで、生きれるか。
さかはら あつし
どうも、最近、計画性の密度が低い。インプットとアウトプットのコントロールが、ビジネス環境の変化で狂っている。
生活のパターンが5月1日から変わってしまったからだと思う。ここから立て直す。
さかはら
日々命がけで最善手を探しているから、
最悪の状態に追い込まれても、いざ命が危険に晒されても、
動じない。
― 藤沢 秀行 ―
(囲碁棋士)
何もしなくても、命は毎日磨り減っている。
さかはら あつし
今日は、朝から新宿御苑にNPOのピクニックに出かけ、新宿でお茶。近所に戻り、行きつけの文房具屋で油を売り、その後、近所のカレー屋に出かけ、油を売っていたら、カレー屋の話をしていた文房具屋の大将がカレーを食べにやってきた。
依頼された、某勉強会のスピーチは魂で語る本音を。
書きかけの文章は文章で仕上げる。
そうしよう。
さかはら
ある意味において、「私」を限りなく排除し、抽象的とも言える、方法論と気づきについて文章を書いているのだが、「今の自分を正当化することもない」客観視化するプロセスとなり、非常に面白い。
さかはら
環境の変化が激しいが、変わらず、ぶれず、行こうと思う。
さかはら
今日の失敗は工夫を続けてさえいれば、
必ず明日の成功に結びつく。
― 豊田 喜一郎 ―
(トヨタ自動車創業者)
毎日学び、毎日成長しよう。
さかはら あつし
昨日から書き始めた文章を読み直し、校正した。
大切なことは「ルール」を作ることである。
「ルール」がトーンとマナーを決める。
「ルール」が決まったので、これで書き直し、書き進める。
さかはら
新しい企画の原稿を一日で25枚書いた。初稿を書き上げるのに、2週間はかからないだろう。
学術論文は初稿が上がり、研究者のフィードバック待ち。
脚本でなければ、書くスピードはそれなりにあることが自分でもわかった。
映画の企画はハリウッドの脚本担当者のコートにボールがある。
ストーリーの開発企画、一本は取りあえず没にした。
ここ最近携わっているビジネスプロジェクトは、実験待ち。
没にしていない企画を、追い込んで詰めてゆくことが大切だ。
ここからはもっと展開すると思うが、「詰めて」形にしてゆく。
さかはら
本の全ては「はしがき」にあるということに気づいた。
「はしがき」は構想であり、主題である。
「はしがき」が書けると、その本を書ききることはそれほど難しくない。
物語りも全く同じかもしれないなとも思う。
さかはら
何人かの友人と電話で話した。
読んでもらうと言うことを考えると、やはり、こういうのが一番かもしれないと思う。
この企画を進めよう。
さかはら
文章を書いているうちに、今、まさに、「新しい自分を切り開こう」としていることに気づいた。
映画をやるのは良い。しかし、映画に閉じ込めすぎるのも、良くない。
自分のやり方でよいと思う。
この文章を書けば、新しい地平が開けると思う。
さかはら
小説、漫画、映画などの「物語」にばかり注目して、表現をしようとしていた。そこにはどこかに私の「我」があったし、エゴがあったのではないかと思う。
去年、頑張ったトリートメントは脚本担当に預けたし、これからビジネスマン、プロデューサー、コンサルタントとして沢山の仕事をしなければならない。
小説を書くには、小説の文章を知らない。
漫画を書くには、視点が現実的過ぎる。
脚本を書くには、台詞が踊らない。
そして、何より、原体験が邪魔をする。
映画や小説、脚本を作るのを諦める必要もないが、今書くべきこと、今書けることは別にあるのではないかと思った。それを書けば、自分もなにかが吹っ切れ、新しい生き方が出来るのではないか、小説や漫画や映画を作ることが出来るのではないかと思う。
上記に当てはまらない類型の文章を書いてみようと思う。
それなら、恐らく、一ヶ月で一冊は書ける。
さかはら あつし
色々なことを考えた数日であった。
不況であるが、「素」になり、結局は「己の道」を進むしかないということに気づいた。
やりたいこと、やらねばならないこと、が山ほどあるので、片っ端から片づけよう。
また、「中間目標管理」をすれば、ずっと作業が早くなることがわかった。
さかはら
善とは一言にいえば人格の実現である。
― 西田 幾多郎 ―
(『善の研究』)
西田幾多郎は東大に学んだが、本流の正規学生ではなかった。
そこに精神的自由さと純粋なる好奇心の理由があったのでは
ないかと思う。
さかはら あつし
人格と言うものを無批判に想定してはならない。文化が違えば
ありうべき人格も違うのである。「虎が人を食うことを悪だ」と思
わないように、誰かにとって、何かは悪ですらないことがあるの
だ。
さかはら あつし
今日は朝、4時まで企画を考え、昼まで眠り、また、企画を考え、夜は知人とビールを飲んで、さらにラーメンを食べた。そう言えば、企画に役立ちそうな本を数冊コンビにで買った。
あんまり、こういう生活は体に良くないと思う。
さかはら
ユーモアのセンスを徹底的に活かした作品作りという視点をずっと持てていないことに気づいた。
「ジャンルのコーナー」を突いて、ユーモアのセンスを駆使しないと、エンターテイメントはできない。
いつの間にか、四角四面の作品作りになっていた。
良いことに気づいた。
さかはら
企画を考えているうちに、「大前研一、堀紘一、勝間勝代、茂木健一郎」に共通する本質的構造がなんとなくぼんやりと見えてきた。
各人、それぞれに、日本を、そして、世界を啓蒙しようとしている。
しかし、本人が皆、「偉すぎる」のである。また、「偉すぎる」ことが生業の種になっている。
略歴を見れば、それがわかる。
また、そういう「権威」をどこかに散りばめることが、商売の一部でもある。
そんな「偉い人」に言われても、「自分にはできない」と思ってしまうのが人間である。
それでは、普通の人の心になかなか心に届かない。
「やれるんだ」と言われても「私はそんなに偉くない」と思ってしまう。
そこをぶっ飛ばせるのがエンターテイメントの力ではないかと思う。
さかはら
朝から短いメールを一本書くのに3時間もかかった。もっと効率的なコミニュケーションをしないといけないと思う。ランチをしたら、どっと疲れが出たので、休憩して、考えるべきことを考えよう。
さかはら
朝は企画を考え、今日は昼から打ち合わせに出かけ、某中小企業の営業改善のアドバイスの後、本格的に関わっているプロジェクトの打ち合わせ。その後、ディナー、そして、近所のカレー屋に立ち寄り家に戻り、3分だけ、部屋を片付ける。3分やると全てが変わることが良くわかった。チリツモ戦略の効果は大きいことを実感する。シンガポールと打ち合わせをして終わる。
さかはら
「何を言いたいのか」をまず考えて、そこから企画を練ろう。
小説であれ、映画であれ、漫画であれ、エッセーであれ、表現のフォーマットはこだわらない。
表現でなくともビジネスでも構わない。
言いたいことに適したフォーマットであればいい。
「言いたいこと」を遠慮なく言う、ことを重視しよう。
今までの企画立案プロセスが頭でっかちすぎた。
さかはら
締め切りを作って再び企画を作りはじめる。
GWは学術論文の初稿を書いたので、良しとしよう。
何らかの追い込みを作って、仕掛けないと、のんべんだらりになるので良くない。
さかはら
史上最強の犬の動画を友人から教えてもらった。
人間の笑いというのはこういうことなんだ。
2003年から倒れこんだままだったが、ここから立ち上がろう。
世間は未曾有の不況で、豚インフルエンザに揺れているが。
さかはら
自分を再構築しよう。
自分の再構築に本気で取り組もう。
少し手がかりを掴んだ。
シンプルなことを継続する。
シンプルなことを継続するだけで良い。
どうして、こんなことに気づかなかったのだろう。
さかはら
自分が孤独だと感じたことのない人は、人を愛せない。
― 瀬戸内 寂聴 ―
(『生きる言葉 あなたに』)
自分が孤独だと感じたことがない人はいないんじゃないか。
さかはら あつし
夕飯を食べながら
「経営者の世襲」と「政治家の世襲」は違うのか?
ということを一人で考えていた。
このあたりのことを先に考えつくしてくれている人がいたらいいのにと思う。
さかはら
家にはわりと早く帰ってきたのだが、「世襲制」というのは一体何なのかについてボーっと考えたり、プラプラしていると、夕方になった。
世襲制という以前に、所有と相続という考え方の根本が問われる時代が来るのではないかと思った。
最近まで、「なりたい自分になれる」などということはなかった。
「なりたい自分になる」ためには「才能と方法がわかればなれる」というのが、現代の無言のパラダイムではないか。
近代以前は、治める人と治められる人の権力関係が、「努力とか教育、ノウハウ」で、何ともならないというのが社会意識の前提だった。
アフリカ系の米国大統領が誕生したりする時代であるが、まだ、マーチンルーサーキングJrが亡くなって半世紀と経っていないことを忘れてはいけない。
雇用機会均等法が施行されたのはつい最近のことである。
「なりたい自分になれる」ということをつきつけられたとき、人は戸惑う。
だいたい、頼まれて生まれてきていないのだから、生んだほうの理由と言うか、手がかりが必要だと思うのが常だが、「なりたい自分になれる」と言われた瞬間に、全ては自分の問題と転化する。
所有とは何なのか、相続とは何なのか、果たして、そんなものは人間社会に必要なのか。
数日前に書き上げた論文を磨き上げる手がかりはその辺りにあるのではないかと思う。
さかはら
昨日は結局、のらりくらりとして、部屋の整理は全く手付かずだった。本が散乱しているのが主要因なので、ダンボールにでも詰めれば、すぐ片付く。
10時過ぎまで眠っていたので、自己嫌悪を感じていたが、午前2時まで起きていたので、仕方がない。
今日はランチの約束があるので、出かけ、戻ってきたら、本の整理だ。
さかはら
アカデミー賞を見に行って以来、積極的にコンテンツ作りから離れていた。
ハリウッドのライターに預けている脚本開発も、「私」を失くすために、預けている。
学術論文にも「私」がない。
学術論文を書いているうちに、私が変わったのだろうか、
「伝えたいメッセージが伝われば、それで良い」
そういう気持ちだけが強くなり、気づいたら、「私」がスーッと消えた。
不思議な自由な感覚である。
さかはら
カレー屋がもう一軒出来ているのに気づいたので、晩飯を食べた。
美味しかった。
さかはら
平和は力では保たれない。
平和はただ理解し合うことで達成できるのだ。
― アインシュタイン ―
(ノーベル物理学者)
世界中が素直になれば戦争はなくなるだろう。
しかし、素直って、英語で何ていうのだろう。
素直と言う言葉を世界に届けたい。
さかはら あつし
雨が降っている。
部屋の整理は、整理用の段ボール箱は入手してきたが、サキソフォンを吹いてもやる気にならない。
独学でサキソフォンをやっているのだが、相変わらず下手なままだ。線形ではない、跳躍関数的なアプローチの変更をする時なんだろうなと思う。
DVDで映画を見ても良いが、それは落ち着いてからでも良い。
どうしたものかと考えていたら、ふと、唐突に「映画企画開発の半動自動化」ということが出来るのではないかと思い始めた。
自分の原体験にこだわらない、自分を突き放した創り方をするなら、そういうことも出来そうな気がする。
これから作りたい50本の企画を一気に立てる。そういうことも出来るのではないかと思う。
部屋の整理その他が落ち着いたら、手法構築を考えてみよう。
さかはら
雑用があるが、何となくやる気にならない。
そこで、
「大前研一」と「落合信彦」のどこが同じで違うのか、を考察する。
両者、男性。
両方とも漢字4文字。
オ(O)で始まる音。
アメリカ経験が長いもしくは詳しい。
英語は得意。
大前研一は楽器が出来るが、落合信彦は空手が出来る。
二人とも、人生失敗したとは絶対に思っていなさそう。
世代がほぼ一緒、落合信彦が一つ上。
両方ともインターネットで情報発信。
両方とも世界に人脈がある(らしい)。
両方とも今の日本は駄目だと思っている。
ここまで引いて見ると、そんな変わんないじゃん。
あーだ、こーだ、言っても、人間て、そんなもんなんですね。
東京は雨、サキソフォンでも吹こう。
さかはら
今朝は昼まで寝たおした。蓄積した疲労があったのだろう。
朝に、京都に彼女と旅行に出かけた散髪屋から電話が入り、「どこを見たらいいですか?」と聞いてくるので、嵐山と金閣寺をとりあえず進めておいた。
昨日、渡した学術論文を研究者の友人が読んでくれ、それなりの評価をしてくれた。彼のロシア出張前に東京で打ち合わせをして、論文を練りこみ、世に出すための準備を行う。
昨日の夜は、インターネットで原丈人に関する映像を見た。その映像を見て、私に足りないのは、「独立、自立、行動する」であると感じた。
サンフランシスコの友人のプレゼンテーションに目をサラッと通し、友人が最近翻訳した本を持って、遅めの昼飯(朝飯は抜いてしまったが)を食べに出かけよう。
さかはら
18ページまで書いた。
もう少しである。
さかはら
幸せになるためには、
自分の人生の目的にそった習慣を身につけることである。
― 加藤 諦三 ―
(早稲田大学教授)
幸せになるためには、「幸せが何か」なんて考えてはいけない。
自分の人生の目的が何かわかっている人なんて世の中には存
在しない。そもそも、頼んで生まれてきたわけではないのだから。
そのことが人間の本質的問題だと、どうして誰も言わないのだろ
う。
さかはら あつし
少し長く眠ったが、目を覚ました。
結局、自分を救えるのは自分だけであり、
自分の人生に責任を取れるのは、自分だけであり、
時間に刻みを入れなければ、時間は流れてゆく。
そう思って、自分の計画を立てて、今日一日に臨む。
さかはら
聞いている音楽を変えると、思考も変わる。
リズムがあり、情熱的な系統の音楽を聴きながら論文を書いている。
100年に一度の不況だといわれているが、100年に一度のチャンスではないかと思う。
そして、100年に一度の論文を書くチャンスだと思う。
さかはら
昨日の深夜は「月刊少年マガジン」の発売日だと知り、慌ててコンビニに急ぐ。
その後、一冊も著書を読んだことはないのだが、沢山の本を出版し、メディアで活躍している茂木健一郎について、インターネットで調べてみる。
これを見ているうちに夜更かしをしてしまい、朝、しっかりと起き損ねた。
茂木健一郎は、個人的体験とイメージの人なんだなと思った。
どこかになんらかの普遍性があり、人々はそれに共感して、買っているのだろう。
茂木健一郎自身による、「消費される『茂木健一郎』」という本を書いてくれたら、私は必ず買うだろう。
さかはら
何となく、大前研一についてインターネットで見てみた。
大前研一はショックばかり受けているな、という印象がある。
あくまで印象だが。
さかはら
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自分で選んだ目標を目指し、そこに到達するために
自分の心を支配できるのは、人間だけである。
これこそ、人間の知識で最高のものだ。
― ナポレオン・ヒル ―
(アメリカ作家)
そもそも目標を設定できるのは人間ぐらいのもんじゃないか。
さかはら あつし
昨日は基本的に自宅待機だったが、午後に回復し、昼にどうしても必要なミーティングがあり、出かけ、夜は最初から入っていた友人との会食に出かけ、珍しく酒を飲み、早朝まで仕事に関して、立ち話、今日は午前中一杯、眠った。
今日は書きかけの学術論文を進める。学術論文とは言っても、結局は私の個性の出現形である。私らしい論文を書こう。結局はそれしかできないのだから。
さかはら
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取るに足らないと思っても、仕事をむげに断ってはいけない。
その仕事が何をもたらすか、
ジュリアモーガンは、ベイエリア出身の女流建築家。UC Berkeleyを卒業した後、
4年間で3度の挑戦の後、パリの名門建築学校に入学。女性としては最初の卒
業生となり、建築家として活躍した。
依頼された仕事は大切にしなさい。誰も出来ないと思う人に頼まないのだから。
やりたい仕事があったら、依頼されるように準備しなさい。
さかはら あつし
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