明日と明後日に期待しよう。
今日も午前中は死んでいた。
昼から、NPOのオフィスに向かい、記者の人と話し、夕方までNPOの関係者と話をして、途中、馴染みの文房具屋に立ち寄ると、夜になった。
家に戻り、途中で買った弁当を食べ終えると、何も体力が残っていない。
もう眠るしかない。一日10時間のタイマー付のエネルギーである。
一度眠り、体力を回復させてから、書こう。
さかはら
今日も午前中は死んでいた。
昼から、NPOのオフィスに向かい、記者の人と話し、夕方までNPOの関係者と話をして、途中、馴染みの文房具屋に立ち寄ると、夜になった。
家に戻り、途中で買った弁当を食べ終えると、何も体力が残っていない。
もう眠るしかない。一日10時間のタイマー付のエネルギーである。
一度眠り、体力を回復させてから、書こう。
さかはら
日付が変わる。もう眠る。
今日は原稿用紙約9枚書いた。
午前中は死んでいたし、昼は打ち合わせ、午後は送られてきた脚本を読みながらフォーマットを直したりしていたので、実質書いたのは夜だけなので、こんなもんだろうと思う。
何とか日産50枚になってみたいのだが、一体どうすれば良いのか。日産50枚だと一週間かからずに単行本が一冊出せる。
当初、800枚を現在書いている小説の総ページ数と想定したが、こだわらないほうが良いかもしれない。800枚にこだわると、前半の出だしが重くなりすぎる。
ぶんぶん書いて、行き詰ったら、出鱈目を思いついて、ひねって、伸ばして、書き続ける。頑張れれば800枚ぐらいになるし、頑張れなければ300枚ぐらいになる、そんな感じでよいのではないかと思う。
私は準備と練習が好きである。だから、いつも練習稿を書いているような意識がある。
それが良くない。これが本番稿だと言い聞かせて、小説も脚本も書くことにする。
ここを掴めば、一気に変わるはずである。
また、小説も、映画もビジネスとおなじように究極の理想たる「真」も「正解」もない。
どうも学者のように「真」と「正解」を求めて考える悪い癖がある。
この辺りを変えれば、全てが変わるのではないかと思う。
さかはら
正直とか、親切とか、友情とか、
そんな普通の道徳を堅固に守る人こそ、
真に偉大な人間というべきである。
─ アナトール・フランス ─
(フランス作家)
人生は普通のことでしか構成されていない。
さかはら あつし
暗中模索の日々が何年も続いていた。
その間、何年もストーリーの本質を鷲掴みにしてやろうと格闘し続けた。
未だかつて、自分で納得できる、自らの閾値を超えたストーリーを作ることが出来たためしは一度としてなかった。
今書いている作品が、お客さんの期待に応えるものであるかどうかはわからないが、ストーリーの精緻さと言うことでは、世に出しても良いのではないか、自らの閾値を超える作品になるのではないか。
そんな予感がする。
しかし、ストーリーを作るのは旅なので、旅を終えるまでは何もわからないのだが。
さかはら
午前中はいつも朦朧としているのだが、朦朧としながら小説を書いた。
そして、ランチを挟んでの打ち合わせ。
小説家からランチの直前に脚本が届いた。
爆発的な生産力が欲しい。
さかはら
やっと原稿用紙20枚まで書いた。
あと数分で日付が変わる。結局、今日の日産は原稿用紙5枚である。
色々なことを考えながらやっているので、なかなか進まない。
本当は原稿用紙30枚分ぐらい、できたら50枚ぐらい、書きたかったが、そうはいかない。
スピードは後でついてくる。
止まらなければいい、そういう方針でやろう。
さかはら
キャラクターを削りだし、ストーリーを捻り出し、スタイルを模索しながら、書くという作業をやっているのだが、今までと違い、作業の苦痛が大幅に減ったように思う。
話作りに没入するようになり始めた。
様々な理由が挙げられるだろうが、良いことである。
さかはら
映画の製作の相談に出かけてきた。色々と話をして勉強になった。
今の私がスティーブジョブズならどうするだろう。
そんなことを考えていると、やる気が出てきた。
さかはら
とりあえず原稿用紙15枚分書いた。
話の書き始めは一番大切だが、一番苦しいところでもある。
予定では800枚弱の小説になるはずだから、やっと1.9%書きはじめたばかりである。
色々やることがあるのでそのスピードで進むかどうかは挑戦である。
正直、出来栄えについては全く分からない。ただ文字を埋めている以上の意味はないのかもしれない。
しかし、自分の原体験を突き放し、クリエーターとしての旅に初めて出かける、そんな気がしている。
考えたことを綺麗に文章にすることではなく、書き進めるごとに私が新しいことを発見する。
そういう時間にしたい。
さかはら
この数ヶ月、私の劇作へのアプローチが変わりつつある。
何年もストーリーの構造の理解に努め、物語を抽象的に俯瞰することを試みてきたのだが、構造的なアプローチから離れ始めた。
いや、正確に言うと、構造的な理解は意識の隅には置いておいて、横目に見ながら、何かの取っ掛かりを頼りに、そこから苦し紛れにストーリーをひねり出す、自分の意識、そして、無意識を探り出す、というようなことを試みている。
本当のことはわからないが、あるべきクリエーションと作劇のあり方に向かっているような気がする。
しかし、満足できる話を作れるかというと、それは簡単ではない。
私が目指す作品作りのある種の閾値を超える話を作れる人はいないことはないが、本当に少ない。
日本にもいないことはない。
しかし、キレがあって、スリックで、面白い。
そんな極上のエンターテイメント用の話を作れる人はハリウッドにも数えるほどしかいないのではないかと思う。
まあ、それができたら、一話、一億円の値段が原稿料につくのだろうが、道は遥かである。
さかはら
ストーリーをデベロップしている。
ここ5、6年、人生の停滞があったが、随分時間がかかっている。
その間、手を抜いたことがあるか?
そんな気はしないが、大胆さと詰め方が甘かったような気がする。
少しずつ、話の構造が見えてきたように思う。
プロとしてそれほど理解が不足しているとも思わなくなった。
最近の仕事は、一線のクリエーターのクリエーションに参加し、勉強させてもらっている。
人間が優れ、表現がべらぼうに上手い。クリエーションへの体温が高い。
私には真似ができない。
いや、自分の至らぬを知るのは、自分が良く見えているからではないか。
人生の膿を吐き出し、そろそろ、面白い話を作れても良いはずだと思う。
相克があり、劇的であり、メッセージがあり、ビジョンがあり、カタルシスがある。
そういう話を書ければ、ハリウッドでだって勝負できるはずだ。
そういう話を書ける人は意外に少ないはずだ。
大胆に、そして、詰めろ。
さかはら
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新しい真理の発見のときは、つねに少数派である。
それが正しければ多数派になる。
─ 湯川 秀樹 ─
(理論物理学者)
異端でいることは楽ではない。
さかはら あつし
コンテンツ工学の資料を少し読んだ後、インターネットをサーフしていたら、今年のミスユニバースの記事が出ていた。
全くテレビを見ないのでわからかったのだけれど、テレビではどう言っているのだろうか。
しかし、凄いな。プロデューサーってここまでやらないといけないんだな。
しかしなあ。
ヒョードルVSジョシュバーネット戦がなくなって、今年の夏は終わったとばかり思っていたんだけれど、世の中、話題がつきない。
なんか、悪い夢を見ているような気がする。
意見はこちらに。
さかはら
今日は午前中は体力がなくて死んでいた。
朝飯を食べて、動き出すんだ、と自分に言い聞かせて、起き上がる。
昼前に脚本の執筆に挑戦している小説家からメールが入り、改稿へのフィードバックをメールに書き、メールのやり取りをしていると午後が終わった。
私は改稿へのフィードバックを出すとき、自分なりに気をつけていることがある。
好き嫌いでフィードバックする印象批評を徹底的に排し、原理原則を持っての技術批評に徹し、可能性を選択肢として提示するも、どれを選ぶか、また、それ以外の選択肢を持ち出すのも基本的には作家の判断に任せるようにする。
「こう書け」と無理強いするぐらいなら自分で脚本を書くべきである。そもそも自分で書けないから作家に書いてもらっているのではないか。
最初に経験のある脚本家をはめてしまうというアプローチもあった。そちらの方が安全なアプローチではあるが、小説家の「自分で書いてクリエーションしたいのだ」という熱い思いを感じ、敢えて、リスクのある方法を選んだ。
芸術は恐ろしい。作り手の人間性の全てを、経験の全てを丸裸にしてしまう。
それを今、一緒に映画作りをさせてもらっている小説家とのプロジェクトから学ばせてもらった。
何とこの小説家の人間性は優れているのか。
そして、良い映画を作るためにその情け容赦ないこと。
私の今のプロジェクトでの本分はこの映画をプロデュースし成功させることであり、私が脚本を書くことではない。
小説にしろ、脚本にしろ、クリエーションはクリエーターの旅である。
デベロップメントをコントロールするプロデューサーの仕事はクリエーターの旅のガイドであり、旅の主人公ではない。
しかし、今回、このガイドをやってみて、ガイドはガイドなりに、思わず涙をこぼしそうになるほど、楽しく、嬉しい体験をすることができるのだとわかった。
それは、当代一流の作家とプロの技術論を持って、「素晴らしい映画を作る」という目標に向かって、協同作業をする喜びであり、己の技術を隠すことなく、出し惜しみすることもなく、共有し、目標に向かってゆけるチームスピリットである。
その中で本当に大切なのは、人間性であるとその小説家から教えたもらった気がしている。
こういう作業をしていると、嬉しくて、思わず涙がこぼれる。
しかし、本当の挑戦はこれからである。映画が公開され、満杯の観客から拍手を受けるまでは、まだまだ道は遠い。
フィードバックをもとに脚本が改稿される間、私は私自身のクリエーションの旅を始める準備をしなければならない。
気晴らしにサキソフォンを吹いたら、企画をデベロップする。
小説か脚本に向かって仕上げてゆくための準備をしなければならない。
さかはら
さすがに、今日はヘトヘトになった。
この数日、猛烈に飛ばしたからだろう。
会社で働く人はこれぐらいが普通のペースなのではないかと思う。
自分で仕事をしていると、どうしてもペースが落ちているのではないかと思う。
今日は20分単位の自己管理が結構いい加減になったが、それでも怒涛のフォーマット変換はとりあえず終わった。
ここしばらく気になっていた問題への対応方法もわかった。
明日やるべき私の目標10個を書き出したので、明日はスピードを最速、最大の成果を目指そう。
よく眠ることが、ばてないための最良の方法である。
さかはら
怒涛のフォーマッティングを終えて、遅めの晩飯にカレーを食べた。
「とび辛スパイス」をかけると、カレーが美味しくなった。
写真はちょっとピンボケだが。
数ヶ月前は、映画なんかやめようと思った。
アカデミー賞に向かう成田空港のゲートでは、人目もはばからず、泣き続けた。
嗚呼、才能がないとはこういうことを言うのかもしれないと思った。
その後、潜り込んだバイオビジネスでは、友人知人に迷惑をかけ、私も被害を被って、未だに処理に追われている。なんとかなりそうだが。
そして、自分の経験を吐き出す作業を続けた。
心のクリーニング作業である。
真っ白になった頃、電話が入り、才能に恵まれたある作家の映画作りに参加することになった。
どうして、私がこれほど高名な作家の映画のプロデューサーをすることになったのか不思議だが、一言で言えば、彼の世界観を理解できる人生を生きたからである。
映画を誰よりも知っているわけではなく、百戦錬磨の映画プロデューサーではない。
しかし、映画だけを見ていたら、映画だけを作っていたら、彼の作品世界を、体験的に理解することは出来なかっただろう。
そう、カレーと人生にはスパイスが必要なのである。
さかはら あつし
助け合う、ということが、人間にとって、
助けることは易しい。自分の命がかかっていなければ。
さかはら あつし
フォーマッティングだけをやり続けると、フラフラになった。約3分の一進んだが、体力を消耗したので、休憩する。
フォーマッティングし終わったら、ストーリーの構造を根本的に見直さないと、映画の尺にならない。
カットペーストして、脚本を書き直すと思ってやった方がいいだろうと思うが、それは後の心配だ。
さかはら
昼間にサキソフォンを吹いて、キリル文字を覚える準備をして、夕方に疲れた眠り込んだが、
預かっている脚本の怒涛のリフォーマッティング作業に着手した。
非常に良く書けている脚本なのだが、馴れたフォーマッティングにしないと、尺が読みにくいので、早めにこの作業をしておいた方がいい。
さかはら
以前やっていたように20分サイクルで仕事をするガチガチのタイムマネージメントを導入してみる。
やはりタイムプレッシャーをかけないと、脳みそが弛緩したままで良くない。今度はかなり明るく、前向きなアプローチだ。
さかはら
送られてきた脚本を読んでいる。
かなり、大きな前進を果たしている。ファンディングに動くにはもう一回、直しをお願いしないといけないとは思うが、映画の脚本を書いたことのない小説家なのに、この柔軟な対応には舌を巻く。
F.S.ジェラルドだって、脚本を書けずにハリウッドで成功しなかったのだ。
その才能に応えるフィードバックを心がける。
一つのことだけをやるとフリーズするので、自分の企画も考える。
二つでもやはりまだフリーズするので、サキソフォンを吹いて、経営戦略のコンセプトを考えることも混ぜる。
ああ、こういう仕事をしたかったのだ、としみじみと思う。
作業を止めないこと、作業を楽しむこと。
さかはら
なんとなくだが、ジャッグルしている幾つかの企画へのヒントを得た。夏に取材旅行に出かけてから考えることになるのだが。
また、もう一つの企画はそれまでに小説にして書き上げることを目論んでも良いのかもしれない。
今仕事を一緒にさせてもらっている才能ある作家の熱気に当てられているだけかもしれないが。
さかはら
作家は人間じゃいけないのではないかと思う。
まだ、読んでいないが。いや、良く寝て、フルエネルギーの時に読まねばならぬが、プロデューサーとして出したリクエストに応えて、人間とは思えないスピードで、直しを入れて投げ込んできた。
とんでもない馬力である。
どこかが壊れているとしか思えないが、そういうのを才能と言うのだろう。
油を売っていた自分が恥ずかしい。
明日起きたら、第2稿を読み、自分の企画を作り、諸事を進める。
命がけの一日にしよう。
さかはら
最近、誘ってもらったプロジェクトのお陰で、クリエーションの熱とインスピレーションをもらっている。
これがクリエーションの醍醐味だと知る。
ここからはマシーンのように創ろう。
さかはら
数日かかっていたシノプシスを書き起こす作業が終わった。原作のある企画で私が脚本を書くわけではないのだが、ピッチや脚本磨き上げの作業の中で必要だし、そもそも私の理解を深くしておかなければならないので、やらなければならない作業である。
そして、再び、自分の企画開発に戻る。
一本は、粗くだが企画の方向は見えている。
もう一本は、まだ、良く見えていない。
また、経営コンセプトの開発も進めなければならない。
さかはら
戦略コンセプトの切り出しをやった。
日本での映画、三連発、製作一本、製作・監督一本、製作、ひょっとして監督一本、そして、海外製作一本を目指す。製作の話は増えそうな気もするが。
死ぬ気でやったら、できないことはないだろう。
さかはら
プロジェクトは沢山入れよう。
同じことをしていると、脳みその切れが悪くなる。
同じことを考え詰めると、頭がフリーズするのがわかった。私の脳みその特性かもしれない。
細かなことを頻繁に回転させてやるのが、どうやら、作業効率を上げるようだ。
そのためには、プロジェクトを沢山入れるのが良い。
さかはら
ぶれてはいけない。
自分の本道をはずれてはいけない。
まっすぐ、ただ、まっすぐに進む。
学術論文も協業のアプローチ、ある作家との映画作りも戦略コンサルタント的協業のアプローチである。
これはこれで非常に面白いアプローチで、多くの知的な仕事を量産できる。
自分で詰めきるアプローチも確立する。これによって、ずっとずっと複合的で面白い仕事が出来る。
さかはら
---------------------------------------------------------------------------
人の欠点が気になったら、自分の器が小さいと思うべきです。
他人の短所が見えなくなったら相当の人物、
長所ばかりが見えてきたら大人物です。
─ 石井 久 ─
(実業家)
人の才能に気づかないのは謙虚ではないからだ。
さかはら あつし
今日は夕方から研究者の友人と学術論文について話しこむ。
根本的にやり方を変えて、アプローチすることになった。
家に戻ると、発注していた資料が届いていた。
さあ、ここから加速を目指そう。
さかはら
ある作家の脚本初稿からシノプシスを起こす作業をしている。
その作家の脚本ファイナルドラフトを仕上げるカウンターパートをつとめるため、また、プロデューサーとして必要なマテリアルを作るためである。
この作業をしておかないと、きっと作品の理解が、浅く、作り上げるプロセスでその作家と同じ地平に立てない。
滅茶苦茶忙しい、プロジェクトもくさるほどある。しかし、全てに知的格闘があり、スリルと興奮を感じる。
さかはら
仕事の量産体制に入る。
マイルスデービスのように引っ込んで、出てくるという技もあるが、人間、最も良い仕事をする時は5年から10年ぐらいのものだろう。
処女作がほぼ、その5年から10年の仕事の創造性を決めるのではないかと思う。
そのための準備をしてきた。
原作のある映画のプロデュースの企画一本、身の上話を世に出すプロジェクトが一本、物語のプロジェクトが2本、社会経済学の論文が一本、経営戦略のコンセプトを切り出すことが一本、その他ビジネスプロジェクトが一本とやることがくさるほど出てきた。
そんなことを考えているとDVDが2枚届き、学びたいことは語学、音楽ときりがない。
さかはら
ストーリーがキングである。
ストーリーを作り、脚本を作れる人は、強い。
ストーリーを作り、脚本を作れたら、他はおいおいでよい。
何本か打ち合わせが入るが、いよいよ、小説もしくは脚本の準備稿としてのフルプロットを書き始める。
さかはら
毎日のことなのだが、午前中は絶望的に体力がない。一度は目覚め、起きるのだが、途中で急激に体力がなくなる。
これを所与として生きるしかない。
「対立の構図」の作り方がなんとなくわかって来たような気がする。
2ヶ月ほど前に読んだ資料と、今読んでいると資料と、活躍するストーリーテラーの原稿を読む機会を得たことと最近まとめて見た数本の映画と去年に書き起こして、没になっている企画のために吐いた血がなんとなく、結実してきているように思う。
原稿用紙1000枚分、身の上話を吐き出したことにより、己の原体験に囚われることがなく、クリエーションに向かえるようになった。
今まで関わったどんなプロデューサーも、編集者も、精神科医も作家もこの心理変容を予想し、アドバイスすることは出来なかった。
結局、作家は己で闘い突破するしかないのだろう。
闘いは孤独である。
師である経済学者の高田保馬に森嶋通夫は「どうしたら一流の経済学者になれるのか?」と尋ねると、高田保馬は「五十年考え続けることだ」と答えたそうである。
道とはそういうことなのだろう。
さかはら
ぼんやりと企画が立ち上がり始める。
ストーリーの構想としては、今まで企画した中で一番しっかりしているのではないかと思う。
ぼんやりとした企画をやぶ睨みする必要がある。
さかはら
昨日は久しぶりにビールを飲んだ。
私は結局、こうとしか生きられないのだなと思った。
こうとしか生きられないのだから、覚悟を決めなければならない。
今日はまた、新しい出会いがある。
それまであたらしいストーリーを考える。
さかはら
ストーリーを運ぶと、話が途端に面白くなくなる。
アイデアを取っておくと、ストーリーを運ぶことになり、伏線を張ろうとすると、話がつまらなくなる。
しかし、なんで、こんなにきつい作業をしているのだろう。
さかはら
朝まで起きて、考え、午前中には海外と打ち合わせをして、その後、ミーティングに出かけて、帰りに資料を本屋で買って帰ってきたら、別件で海外と打ち合わせがあり、ばてた。
睡眠不足で、厚ければ、それはばてるわな。
プロットを作りこむ準備段階で大きな構想が見えてきたので、資料をみながら、倒れこんで休憩だ。
さかはら
結局、ほぼ徹夜で考えたのだが、構想が少し鮮明になった。
今度は割と無理なく作れるのではないかと思う。
小説で書くか、脚本で書くか、日本語で書くか、英語で書くか。
フルプロットが出来たら、考えよう。
さかはら
ずっと、映画について調べごとをしていた。
映画ビジネスに革新的なアプローチを取る必要があり、映画作りに命を削る必要があることを思い知った。
普通にやっても映画はビジネスにならず、命を削って作らない映画に意味はない。
社会にコミットし、主張のない作家は作家ではない。
国を追われない主張は主張ではない。
とっとと映画を作ろう。
さかはら
---------------------------------------------------------------------------
結婚する。まだ多少は愛したりもできる。そして働く。
働いて働いて、そのあげく愛することを忘れてしまうのである。
─ アルベール・カミュ ─
(フランス小説家)
糞をする合間に、飯を食い、飯を食うから糞をして、飯を食うために働いて
人生が終わる。人生は短い。気をつけよう。
さかはら あつし
打ち合わせをして戻ってきた。
オーソドックスな手法で、手続き通り、企画をデベロップしてみようと思う。ここは無理をせずに、企画を育てることである。
ビジネスとビジネスコンセプトの開発については、本質を突いた応用が大切である。
そういう考察をまとめたメモも作ろうと思う。
さかはら
「言いたいこと」は何だ?
ずっと以前に、どこかで、ストーリーを作るときは、「言いたいこと」をそのまま言うなと教わった。
しかし、これを真に受けてはいけないのではないかと思い始めた。
最終的な表現で、「言いたいこと」があまりにあからさまでは、プラカードを書いたほうがましだが、それは最終的な表現の話であり、創作のプロセスでは、「言いたいこと」を明確に持っていたほうが良いのではないか、そして、それこそがテーゼであり、そこにぶつけるアンチテーゼを求めることこそ、創作と作劇のダイナミズムなのではないか。
そんなことを考えながら、昨日打ち合わせをした研究者からいただいたストーリー開発の最新の著書のページをめくってみると、プロット開発のプロセスが丁寧に書かれており、非常に参考になった。
プロット以前の問題を整理したら、このフレームワークで話を作ってみようと思う。
さかはら
今日の打ち合わせで、「コンテンツビジネスの哲学的経営コンセプトによる解題をせよ」という指令が出た。
要は、根本から解題し、コンテンツビジネスに関する新しい経営コンセプトとフレームワークを作り出せということである。
何となく、手がかりを得ているので、2、3日考えて、フレームを作る。
こういうのを考えるのは得意なんだが、ストーリーの企画だと頭が硬直する。
まあ、力が入りすぎるんだろうと思う。
さかはら
打ち合わせを立て続けに3本こなして戻ってきた。
わき目をふるなと、シリコンバレー時代の大将にアドバイスをされた。
最近活動量を増やしている。自分のリズム、仕事の仕方を創るプロセスを作っているんだと思う。
さかはら
今日はプノンペンに電話を入れ、フランスにメールを投げ、打ち合わせの後、知人と鰻を食べに行き、家に戻ると、プラハに電話を入れ、これからDVDで映画を見るか、企画を考える。
自分の事業を立ち上げること、表現以外に自分の仕事をしっかりと持つことを準備しようと思う。
準備の瞬間はもうない。瞬間に価値を作ろう。
さかはら
何となく意識が変わりつつある。
一ヶ月ほど前に読んだことがきっかけだと思う。
「どうしたら面白くなるか」という視点を持てるようになってきた。
それまでは、「どうしたら真に近づけるか」という視点で考えていたように思う。
時間がかかる。
さかはら
ワシントンDC時代に一緒に苦労したアラブ人が国際電話をかけてきてくれた。
あの頃のことを思い出したのだが、それが、昔見た映画のようで、他人の人生を見たようで非常に不思議な気がした。
さかはら
なるほど、活躍する作家のストーリーテリングは凄いな。
勉強になった。
もともと難読症の気があって、小説をそれほど読まないのだが、凄いなと思う。
遅くなったが、晩飯を食べたら、頭をリセットして、DVDを見るか、企画を考えるかだな。
さかはら
午前5時から、新しい戦略コンセプト作りと少し格闘し、自分の企画を進めた。
今日は新しい戦略コンセプト作り、企画の開発、命がけで預かっている脚本を読み、久しぶりにサキソフォンを吹き、世界感覚を磨くための多言語学習を復活させ、机の上に積みあがっている4枚のDVDの何枚かにはくらいつき、日曜日の情報番組は見ておく。そして、インターネットヨットもやる。
以前は恥ずかしながらこのぐらいの予定に圧倒されていたが、このぐらいの密度で圧倒されていては何も始まらないんだということにやっと気づいた。
現代はこれで普通なんだ。
さかはら
仕事で読まないといけないのだが、えげつなくエネルギーが要る。
脳みそがアウトプット優先で出来ているので、これはしんどい作業だ。
自分なりのアウトプットを無意識にしながら読んでいるのかもしれない。
色んな作業を混ぜ、休憩を入れて、読む。
アウトプットをするのも手だな。
さかはら
遅めの夕飯を食べにカレー屋に出かけた戻ってきた。
カレー屋で新しい、経営戦略のフレームを考え始めたけれど、これは無数の思考ステップが必要だなと思った。
覚悟するしかない。
さかはら
ある活躍するクリエーターと仕事を一緒させてもらう機会を与えられた。ワクワクしエキサイティングであるだけでなく、自己成長の大いなる機会である。彼のインスピレーションとクリエーションが最大限に生きるような役をすることになる。得がたい素晴らしい機会をもらった。
また、ある産業のために経営戦略フレームを創り出すプロジェクトも与えられた。しっかりと考えて、論理フレームを創り出そうと思う。
新しい社会経済学の学術論文も執筆中である。元々は社会経済学をテーマとした物語を創るつもりだったが、物語は出来ず、学術論文が一つ書けてしまった。
「独創せよ」
私のテーマである。
さかはら
折角書いたメールで、それなりにまとまっていると思うので、貯蔵する意味で
ここに残しておこう。
--------------------------------------------------------------------------
古典派(アダム・スミス):「神の見えざる手」による資本主義肯定
→予定調和的に上手く行くと言う自由主義の肯定
社会主義(カールマルクス):「神の否定」「人間中心主義」
→予定調和的に行くと言うのは嘘だ。階級による闘争が起こる。
史的唯物史観、人間が主体となって計画して経済活動をすべきだ。
(計画経済)、「人間完全主義」
修正資本主義(ケインズ):自由主義では、上手くいかないこともあ
る。「神の見えざる手」は完璧ではない。政府による有効需要の創出
が鍵になる。
新古典派(ハイエク):社会主義と修正資本主義から生まれ、グロー
バリズムの理論的な裏づけとなる。
社会主義の否定:人間に完全な計画はできない。→市場の価格に全て
の情報が含まれており、自由主義が一番(サッチャーリズム、レーガ
ノミクスの支えになる。)
修正資本主義の否定:ボーダレスになれば、政府の有効需要の創出も
何もない。
そして、新古典派グローバル自由主義の行き詰まり:
格差、ボーダレスの新大陸(大前研一、新資本論)とNation Stateと
いう枠組みの組み合わせの調整的不具合、宗教対立、環境問題、グロ
ーバル化によるテロという新しい戦争の形態の登場、サブプライム、
パンでミック。
ここまでが今日ですが、これからどうなるかというと、私の考えでは、
大きく二つの方向があるように思います。
ひとつは、プログレッシブな新社会主義
もうひとつは、プログレッシブなリベラルな新修正資本主義
です。
この二つの根本的違いは何かと言うと、私の考えでは、社会を見る視点
が対象とする人間像、人間の科学的アプローチの限界の捉え方、資本主
義の限界の捉え方だろうと思います。
社会主義の誕生期に、サンシモン、フーリエらがユートピア社会主義と
いうものを作って、社会民主主義を目指しました。
それを後にSFにしたてて、ユートピア社会への批判をディスユートピア
という類型で行うのが、フィリップ・ディックだということは、良くご
存知だと思います。ハリウッドでフィリップ・ディックの原作映画が多
いのは、自由主義肯定のアメリカニズム攪拌装置ハリウッドの役割なの
かもしれませんね。
----------------------------------------------------------------
メールはここで話が転換されるのだが、ここまで書いてふと思う。
世界はどのようになるのだろうか。
さかはら
どれがとは言えない。
どれも言えない。
全てが高速に動き出した。それは恐ろしいスピードである。
さかはら
私は常に思っている、人生は旅である、
我等は忽然として無窮より生まれ、
忽然として無窮のおくに往ってしまう。
─ 若山 牧水 ─
(『独り歌える』)
旅は始まり、旅は終わる。
さかはら あつし
今日は動いて、人に会い、考えて、戦略論を整備した。
明日からは創ろう、動こう。
さかはら
生きるというのは、
瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、
現在を本当に生きることはできない。
─ 岡本 太郎 ─
(『自分の中に毒を持て』)
岡本太郎はすごいな。
さかはら あつし
才能があるかどうかは別の話として、私は考えることに病み、創ることに病んでいる。
そろそろ、行動もするが、考えること、創ることからは逃れられそうな気がしない。
さかはら
昨日は倒れこみ、朝4時過ぎに目覚めた。
朝から、今争っている件のドキュメントの校正をし、知人に依頼されている脚本を読む。
昼には出かけるが、それまでに、様々なことを考え詰める。
さかはら
書きあがった文章をKIKO'Sで打ち出して、配送した。
打ち出した用紙を見て、圧倒された。
こんなに書いていたんだなと思う。
1、2時間油を売って戻ってきたが、ぐったりと疲れたので、一度眠る。
精神は戻ったが、肉体はまだである。
さかはら
事業のアイデアを思いついた。
ストーリーを作るのも良いが、こだわりすぎるのも良くない。
映画を作るのも勿論だが、こだわりすぎるのも良くない。
そろそろ、己が己の責任で事業を起こしてみるときかもしれない。
少しずつ企画書を書いて、考えてみよう。
さかはら
少し倒れていたが、頭の中が整理されてきた。
今日は午後に友人と会い、意見交換したが、その情報の整理と消化ができた。
考えてみれば、普通のことを言っている。もっと考えれば、もっと良い攻め手を考えられるはずだ。
まずは、自分の経験を吐き出す作業を1、2日徹底して行い、そこから己の人生の攻め手を考える。
もっと自分に自信を持ってよい。
ただし、もっと激しく、鋭く生きなければならない。
さかはら
ずっと自分の身の上話を書き続けているのだが、書いているうちに「エンタメコンテンツは陳腐で構わない」ということに気づいた。
全てはHow to tellだけである。
誰もが思いつく以上の「生きる意味」を提示する必要もないし、哲学的解題をする必要もない。
新しい社会構造の説明を思いつく必要もないのである。
そういう意味では、エンタメコンテンツと言うのは陳腐な、言い古されたことを、どう上手に伝えるかということで終始するのだと、ようやく気づいた。
さかはら
結局は自分の視点を突き詰め、自分の視点で表現するよりない。
何をどうやっても、私は自分の視点から逃れられないのだ。
そして、吐き気がするほど自分を突き詰めることからしかできず、それでいいんだと思った。
さかはら
死ぬ気で世界を駆け回って働いたプロジェクトの社長は連絡がつかず、給料を払ってももらえず、踏み倒され、弁護士を立てて戦う準備を始めなければならない。
この数日で書き上げないといけない、私の「身の上話」は相変わらず進まず、さっさと書き上げて、映像を作りたいという欲求だけが募る。
買っておいたビール缶は飲み干し、アルコールが切れたからか頭痛がする。
インターネットヨットをしても、成績は良くなく、根本的に時間の無駄遣いをしているのではないかと思うが、それでも止められない。
しかし、気づいたことがある。
人生はいつもタフだが、ぶっ飛ばさなければならない。
そして、創りたいものを創らなければならない。
さかはら
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